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 パキスタン、テロ取締への努力不足との風説に反発

2011-05-13 15:13:25     cri    

 このほど、アメリカの特殊部隊がパキスタンで展開した軍事行動により国際テロ組織アルカイダの指導者ビンラディンが射殺されました。これによって、ビンラディンは5年間もパキスタンに隠れていたことが明らかになり、パキスタン政府は多重の圧力を受けています。アメリカはパキスタンに対して、ビンラディンの居場所が分からなかった原因をせまる一方、国内の反対派は、米軍が主権の尊厳を踏みにじった行為を政府がなぜ阻止できなかったかと不満を示しています。このほか、一部の人は、「パキスタンのテロ取締での努力が足りない。資金を求める一方で、実際の行動がない」と批判しています。

 これらの非難に対して、国連ジュネーブに駐在するパキスタン代表団は、12日、記者会見し、「これは風説だ」と反発しました。

 代表団大使を務めるザミール大使は記者会見で米軍によるビンラディン射殺の基本状況を紹介した後、「パキスタンはアルカイダを生んだ国ではなく、ビンラディンも招きを受けてパキスタンとアフガニスタンに入ったのではない。アメリカは1980年代に、アフガニスタンでの反ソの聖戦活動を援助していた。ソ連軍が撤退した後、これらのアラビア国家の聖戦者は地元に置き去られた。後に、彼らはアルカイダを組織し、その勢力を世界各地に広げた。では、誰がアルカイダの存在の責任を取るべきか。誰がビンラディンの神話を作り上げたのだろうか」と、問いかけました。

 2001年、アメリカがアフガニスタン戦争を発動したことで、アルカイダのメンバーは、越境してパキスタンに入り、都市部と農村部に隠れるようになりました。パキスタンはテロ取締の最前線になったのです。

 今回の米軍の行動について、ザミール大使は、「米軍が任務遂行で使用していたヘリコプター4機はレーダーでキャッチできない技術を使用したため、直接パキスタンに入ってきた。全過程はパキスタンには何も知らされず、参与も出来なかった」と述べました。

 また、「2001年、パキスタンとアメリカはテロ取締協定を締結したあと、両国は情報と軍事行動で協力し合い、多くの成果を挙げている」とした一方、「テロ取締に関する情報を正確に把握することは、非常に難しい。米英のような先進国でさえも全面的に把握することができない。米の9.11事件と英の7.7爆発事件からも、両国の軍事と情報部門の活動が不備であることが分かる。パキスタンの情報部門が、ビンラディンの隠れ場所を見つけられなかったことで、テロ取締に尽力していないと断言してはならない」と強調しました。

 さらに、「パキスタンの情報部門は米と協力して、すでに数百名のアルカイダメンバーを取り締まった。ビンラディンの居場所が分かった最初の情報も、パキスタンが提供したものだ。ここで強調したいのは、現段階の世界で、アルカイダの取締において、われわれほどの大きな成果を収める情報機関は他にはないだろう」との見解を示しました。

 アルカイダ取締でアメリカと連携して、アメリカに支援金を求めているとの見方について、ザミール大使は「テロ取締でパキスタンは大きな代償を払ってきた。5000人の軍人が殉職したほか、3万5000人の庶民が衝突で死亡した。10年間の経済損失は500億ドルに達しており、援助金はこの一部にしかならない」と主張しました。(朱丹陽)

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