タクシーの便乗はもう1度あって、"土族"の部落を訪れたところ、西寧まで乗せていってとくれてと言われて、踊りの衣装のお姉さんが、その衣装のままで三人も乗り込んできた。西寧へ買い物に行きたいとのことであった。"土族"には"対歌"があるかと聞いたところ、"あるある、貴方が日本の歌を歌うならば、私達も土族の歌を歌う"と言われたが、狭いタクシーの中で歌合戦といいうわけにもいかないので、止めにした。陽気なお姉さん達であった。お姉さんと言っても、結婚しているとのことで、踊りの衣装が未婚の娘さんとは違うのことであった。これらのことは運転手の通訳なしで話しが出来た。普通語で話してくれたからである。
"土族"の部落を訪れた時は、私の方が珍しい日本人ということで、回りを取り囲まれてしまった。丁度、蘭州からの客が来ていて、その人達から、日本人は珍しいと言われて、サインをさせられた。サインをしたのは生まれて始めてのことであった。ついでに"土族"の珍しい食べ物をご馳走になった。ここでは費用が全く掛からなかった。
運転手の一家と一緒に行った黄河は、李家峡というところで、黄河の名前にふさわしくない澄んだ青い色の黄河であった。まだ黄土が流れ込む前の黄河である。回りの黄色い山の色と対照的な青い色である。西寧では5月であるのに、まだ木の芽が出ていなかったが、黄河があるところまで降りてくると、木の葉が青々と繁っていた。ここには李家峡ダムの巨大な発電所があり、そこの観光部の若い女性が、親切にも黄河の河原まで案内してくれて、直接黄河の水に触れることが出来た。ペットボトルに入れてみると、ミネラルウォーターと全く変らない透明な水である。案内してくれた若い女性は、蘭州の大学を出たばかりの初々しい女性で、私が二台のカメラを持っていたので、写真家かなどと聞いてきた。こんな山の中にいても、日本にはかなり関心がある様であった。
この辺りには回族多くて、食堂に入ったら、酒も煙草も厳禁らしかった。この辺りのお爺さんは、白い帽子を被り髭を伸ばしていて、いかにもイスラム教徒らしい様子であった。男の子も丸い帽子を被り、女の子は頭巾を被っていた。西寧もその周辺も回族が多く、西寧には回族の為の立派なモスクがあった。白い帽子を被った男達が沢山いた。
西寧のもう一つの名所はラマ教のタール寺である。ラマ僧は沢山いたが、チベット族らしき人はあまり見かけなかった。ここは観光地化していた。いずれにしろ、西寧は回族やチベット族、土族などの少数民族が多くて、西の果ての感じのする町であった。昨年から中国にもゴールデンウィークが出来て、場所によっては大混雑したが、さすがに西寧まで来ると、混雑は見られなかった。ゴールデンウィークの旅行に、西寧を選んだのは正解であった。
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