漁梁という川べりの古鎮に行ったのだが、ここで鵜飼の鵜を見つけた。実は漁梁に二回も行った。一回目に行ったときデジカメの電池が切れてしまった。それで観光の最後の日に、時間があったので、電池を十分にもって、尚且つ入場料を払わなくてもいいように、裏道から入って、漁梁を見に行った。その時は当然ガイドが居ないので、自由に歩いて回り、細い道を見つけて川縁に出てみた。そうしたら、鵜飼の鵜がいた。
鵜を見たことと、見なかったことに、どんな差が有るかというと、大した差はないかもしれない。しかし、旅行が終わってから、あそこには珍しいものがあったなんて後から聞くとなんだか悔しいような気もする。そんな意味でも漁梁の側を流れる清流で、鵜飼の鵜を見たことは、犬も歩けば棒に当たる例かもしれない。災難に遭ったのではなくて、幸運にあったと言うほうの例である。とにかくこんな所にも、鵜飼の漁が行われているのだと、チョッと感激と言うか、おぉ~といった感じだった。
私は旅行に行って写真を撮るのであるが、チョッと苦労しても、高い所や少し離れた所に行って、写真を撮ると、いい写真が撮れる場合がある。今回の古鎮巡りでも、有料で屋上に出れば良い景色が見えるという看板があった。そのようなところでは迷わず金を払って上ることにしてる。少しの金によって、変わった位置から西遞の良い写真が取れた。
しかし、巧くいったという話ばかりでもない。その漁梁では、川の上流か下流かに、大きな古い時代の石の橋があったはずなのだが、それも見落としてしまったし、船に乗って川から漁梁の町の写真を撮ったら、もっと良い白壁の家の写真が撮れたかもしれない。ここには遊覧船の小船があって誘われたのだが、後で気が付いてもそれこそ後の祭である。
やはり足で稼げば良い写真が撮れるチャンスは多くなるように思う。しかし情報不足で近くにある見所を見落としてしまうのは悔しい。もう一生のうちに、そこには殆ど行かないところだと思うと、尚更である。
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