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3月14日 火曜日

2017-03-14 18:37:21     cri    

1時間目 シェアリングサービス、自転車の次は自動車! 中国現代文学の散歩道~李敬澤「趙氏孤児」(5‐2)

担当:王小燕、斉鵬

 北京は春先の良い天気が続き、梅や野桃の花が咲き始めています。CRIの庭の中の桜も、緑のつぼみがまだ固いままです。気温上昇のトレンドがこのまま続けば、開花も間近のようです。写真は放送局の社員食堂付近に咲く野桃の花。

 春めいてきた中、愛知県から嬉しいお便りが届きました。岩倉市にお住まいの、北京放送(CRI)リスナー歴33年の杁本直正さんからのメールです。3月11日から春日井市知多公民館1階ロビーで「第12回 北京放送・中国国際放送局切り紙展」が無事開催されたという内容でした。CRIから送られてきた切り紙を中心に、受信確認カード、クイズの参加賞、賞状、バッジ、万里の長城のしおり、お誕生日カード、年賀状など千点を展示されます。開催期間は3月25日まで。近くにお住まいの方はぜひお立ち寄りください。写真は杁本さんから送られてきた開幕日の様子。

 

 

 【旬の話題】

 以前の番組では、自転車のシェアリング・サービスが北京、上海などの都会で、急速に普及していることを紹介しました。気がつけば、シェアリング・エコノミーは今では自転車だけでなく、「自動車」にまだ広がっています。北京では、シェアリング・サービスに投下する車の数を2000台にする計画を掲げています。この自動車のシェアリング・サービスはいつ頃から中国に導入され、どのような車種が投入されるか、料金体系や今の課題などをご紹介します。

 【現代中国文学の散歩道~李敬澤「趙氏孤児」(5)その2】

 中国文学の翻訳誌『新しい中国文学 灯火』雑誌社の後援により実現した企画です。引き続き李敬澤著、水野衛子翻訳の小説「趙氏孤児」をご紹介します。担当は王小燕、斉鵬、星和明です。

 ★第5部「すごい男」~その2

 晋の国王夷皋が調理師を殺したことが暴かれた。宰相の趙盾は顔色を変えて、ただちに宮殿の奥に行こうとしたが、誰かに止められた。その後、夷皋と趙盾はどうなっていくのでしょうか。

 ★ちょっと難しい用語

 ①社稷(しゃしょく):社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)の総称。天壇・地壇や宗廟などとともに、中国の国家祭祀の中枢を担います。転じて、国家のことを意味します。

 ②初(はじ)め有(あ)らざるなし克(よ)く終(お)わり有(あ)る鮮(すくな)し:《「詩経」大雅・蕩から》物事をするのに、初めはだれでも計画を立てて一生懸命にやるが、それを最後までやりとげる者は少ない。

 ③「詩経」:中国最古の詩集。紀元前11世紀から紀元前6世紀にかけての詩305編を収めています。孔子が門人の教育のために編纂したもの。

2時間目 中国人を笑わせる日本人コメディアン・近松貴子さんに聞く(下)

聞き手:王小燕

 先週に引き続いて、中国でスタンダップコメディアンとして活躍中の近松貴子さんにお話を伺います。

 貴子さんは生まれた時から大学を卒業するまで、ずっと名古屋で暮らしていました。就職した会社は大阪でしたが、どのようなきっかけで中国に興味を持つようになり、何故北京に渡ることを決意したのか。異国の地に慣れるまでの喜怒哀楽は?

 今週はスタジオ見学に訪れた学生や、インターン生たちも参加し、にぎやかなインタビューでした。

 ■インタビューの抜粋

 ――貴子さんは、小さい時、どのような子どもでしたか。

 幼稚園から受験を始めましたが、ことごとく両親の期待を裏切り続けました。3歳からピアノの練習を開始、5歳くらいからサッカーを父の影響ではじめ、名古屋グランパスエイトジュニアニームに所属しますが、幼少時代はとても大人しかったです。

 ――大学を卒業するまでずっと名古屋の親元にいたそうですね。

 そうです。大学卒業後に就職し、大阪に派遣されたことで初めて名古屋を離れました。入社1年目は初めての一人暮らしということもあり、ストレスを感じやすく、食事があまり喉を通らず体重が30キロ後半まで痩せました。その後、時間の経過とともに、仕事や一人着らしにも慣れてきました。

 ――そうした中で、中国に興味を持つようになったきっかけは?

 社会人3年目の時に、習い事の一つとして、"日本語教師養成学校"に通っていました。そこで会社の同僚とは違う人たちと出会えました。留学帰りの人や、ワーホリ(ワーキングホリデー)帰り(もしくはこれから行く)の人、多くは海外で日本語を教えたいという人たちでした。彼らに影響を受けたものの、特に行きたい国はなく、しばらく通っていました。

 それが2011年ころに、NHKの「蒼穹の昴」という中国清朝末西太后を主題に取り上げた連続ドラマにはまってしまい、一気に中国への興味が沸いてきました。その後、当時わりと流行っていた中国のソーシャルメディア「人人網」で、日本にいる中国人留学生数人と友達になり、中国語と日本語の交換学習をはじめました。

 ――2012年に初めて中国を訪れ、翌年、思い切り、会社を辞めて北京に来ること決めたそうですね。

 はい。当時は大阪で働いていて、とても恵まれた環境だったとは思いますが、「自分がこのまま、一生、この会社で働くのかな」という疑問もありました。本当は留学をしたかったのですが、25歳にもなって、社会人でもありましたので、やはり働きながら勉強したほうがよいと思って、あらかじめ日本で日本語学校の職を探して、ビザの手続きをしてもらい、北京へ行くことにしました。4つのトランクケースを持ってきましたが、出迎えはなく、一人で国貿までタクシーで行き大変だったのを覚えています。

 ――北京での暮らしに慣れるまで、何が一番大変でしたか?

 来てからの半年くらいはすべてが新鮮で、とても楽しかったですが、やはり最初は、中国語があまりわからず、人とあまりコミュニケーションが取れなく、心苦しく思うこともありました。当時、日本人の友達もいなかったし、中国人の友達もわずかでした。その中で、李さんという方にはたいへんお世話になりました。彼女は、もともと日本語学校の受講生でしたが、同い年ということもあり、古くからの知り合いのように仲良くしてくれています。とても明るい性格で、楽観的な人です。彼女の紹介で、テレビで「王自健 80后脱口秀」を見るようになりました。中国語の勉強もできるし、ほんとに面白いと思いました。

 ――貴子さんはステージでは、中日の文化の違いをネタに取り上げていますが、最近、暮らしの中で気になっている話題は?

 最近一番頭が痛い話題は、「結婚」ですね。個人的には北京の方が日本より、結婚に対しての固定疑念が強いと思います。27、8歳になって、まだ結婚していなかったら、人格的に大丈夫かとか、結構なことを言っている人もいると思います。そしてSNSのウィーチャットなどでの「炫恩愛」(のろけ話やラブラブの写真を見せるなど)、この現象は日本ではなかなか見られない。しかも30歳は、彼らに言わせると「中年婦女(中年の女性)」らしい。かなり生き急いでいる気もしています。結婚前に「老婆」、「老公」と呼び合うのもなかなか面白いと思います。

 【プロフィール】

 近松貴子さん(ちかまつ・たかこ)さん

 1987年名古屋生まれ

 父の影響で、5歳でサッカーチーム「グランパスエイトジュニアニーム」に所属。

 大学卒業まで名古屋で過ごし、その後大阪で就職。

 2012年春 北京へ一人旅

 2013年4月 大阪での仕事をやめ北京へ渡る

 2013年9月から 北京の大学で日本語を教える

 2015年10月 北京の劇場で「脱口秀 女子专场」を初めて見たことがきっかけになり、コメディアン・宋启瑜さんのスタンダップコメディ教室に通う。後に、「近松貴子」の芸名でステージに立つ。現在は北京の大学で日本語を教えるかたわら、公演活動を続けている。これまでに山東、湖南、河南、江西、深センなどを公演で訪れることがある。現在も新しいネタの創作と練習に日々精進中。

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