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2月14日 火曜日

2017-02-14 19:20:33     cri    

1時間目 結婚できない男性が3000万人?!中国現代文学の散歩道~李敬澤「趙氏孤児」(3-2)

担当:王小燕、斉鵬

 2月13日はユネスコ・国連教育科学文化機関が定めた「世界ラジオデー」でした。この日は2011年に定められたもので、6回目を迎える今年は「Radio is you(ラジオ、それはあなた)」をテーマに、上海で初の記念フォーラムが開かれました。フォーラムの席上、「.radio」という新しいドメイン名の発表も行われました。日本ではこの日に、何か動きがあったのでしょうか?ご存知の方がいたら、ぜひ情報をお寄せください。

【旬の話題】
 2月14日はバレンタインデー。中国では、恋人や夫婦がプレゼントを贈り合い、デートするとてもロマンチックな一日です。その一方、前日の13日にロマンチックでないニュースが発表されました。「今後30年、中国の約3000万人の男性が結婚相手を見つけられない」と。その理由や問題点、さらに政府による対策などを併せてご紹介します。

【現代中国文学の散歩道~李敬澤「趙氏孤児」(3-2)】
 これまでの放送では作家、文芸評論家の李敬澤(り・けいたく)の小説「趙氏孤児」の第1部「王妃の陳情」と第2部「二つの取るに足らないこと」を紹介してきました。第3部「少年夷皋と熊の手」はやや長文のため、3回に分けてご紹介していきます。今回はその2回目。王小燕、星和明と斉鵬の朗読でお届けします。
 このコーナーは中国文学の翻訳誌『新しい中国文学 灯火』雑誌社の後援により実現したものです。『灯火』は中国で最も権威ある文学雑誌『人民文学』の日本語版として、2015年12月に創刊。これまで全3冊が刊行されています。初回からシリーズでご紹介している小説「趙氏孤児」は、去年3月に刊行した「特別版」に掲載された水野衛子(みずの・えいこ)翻訳の作品です。

第3部「少年夷皋と熊の手」その2
 晋の襄公の崩御で、幼くして王位についた夷皋も15歳の少年となった。しかし、わがままで、ありあまる時間とエネルギーにまかせて不良少年の道を驀進していたのだ。史書では、夷皋は二つの罪を犯したとしている。今回はそのもう一つの罪、「パチンコで人を狙う」について紹介する。

★ちょっと難しい用語
 ①「春秋」=周の時代の魯国の歴史書
 ②郭徳綱(グオ・ドーガン)=人気漫才師
 ③「三舎を避けた」=古代中国の軍隊が進む距離のことで、三十里を一舎とする。三舎は九十里、45キロ。「三舎を避ける」は相手を敬遠して避けるの意。
 ④令尹(れいいん)=楚の宰相のこと
 ⑤子上(しじょう)=令尹の名前
 ⑥商臣(しょうしん)=楚の成王の息子の名前
 ⑦潘崇(はんすう)=商臣の先生

【背景】
★李敬澤について
 1964年天津生まれ。 北京大学卒。中国作家協会副主席、中国で最も権威ある文芸雑誌『人民文学』の元編集長。著名な文芸評論家で、中国の作家たちから畏敬される存在でもあります。
 幅広いスタイルの作風の作家としての顔もあり、『検証千夜一夜――21世紀初の文学生活』、『文学のために申し開きをする』、『反遊記』、『小春秋』、『理想的な読者へ』などの著書もあります。

★「趙氏孤児」について
 司馬遷の『史記』にも出てくる史実をもとに、元代の劇作家・紀君祥が元曲として創作した中国の有名な悲劇の一つ。18世紀にはフランスの作家ヴォルテールによって翻案され、ヨーロッパで舞台化された最も古い中国の芝居。
 中国でも繰り返し京劇などの伝統演劇や話劇の舞台、テレビドラマに取り上げられ演じられてきました。近年では、陳凱歌監督が映画化、『運命の子』の日本語タイトルで、2011年に日本でも公開されています。
 これら良く知られた「趙氏孤児」はあだ討ちの物語。内容は、霊公殺害の冤罪で趙家が将軍・屠岸賈(とがんこ)から一家全滅の罪に問われます。この時、趙家に恩のある公孫杵臼(こうそんしょきゅう)や程嬰(ていえい)らによって助け出され趙盾(ちょうとん)の孫の趙武が一人生き延び、やがて長じて一家のあだ討ちを果たすというものです。
 李敬澤のこの小説はその有名なストーリーのエピローグ、またはスピンオフともいえる内容になっています。霊公と趙盾との確執に、中国の現代にも通じる諸問題を織り込み、単なる歴史小説を超えた語り口になっています。

2時間目 なぜ妖怪学なのか~日本妖怪学研究第一人者・小松和彦さんに聞く(上)

聞き手:王小燕

 日本では近年、妖怪がブームのようですね。

 2013年の三井記念美術館に2016年の江戸東京博物館。「大妖怪展」と題した展覧が相次いで開かれ、その都度、多くの見学者を惹きつけ、妖怪談義が盛んになります。

 今の日本で、妖怪は人々の心を豊かにしてくれた伝統文化として、その価値がどんどん見直されています。しかし、こうした状況を迎えるまでに、40年間地道にくじけずに妖怪学と取り組んできた学者たちの努力がありました。その中の1人が、日本では「妖怪学研究」の第一人者と言われている小松和彦さんです。

 40年前の日本は、経済高度成長の真っ只中でした。物質的な豊かさが重んじられ、妖怪などは人々の記憶から忘れられる存在でした。

 「妖怪ばかりを研究していては、職もみつからないし、嫁ももらえないよ」と若い頃、小松さんは脅かされたことも。しかし、それにもめげずに、研究を続けてきたのは、信念があったからです。

 「妖怪は人間の代理人です。人間の苦しみや悲しみを妖怪は引き受けて語ってくれている。妖怪を見ると、人間が見えてくる。そういうことをきちんと学問的に整理することで、妖怪の文化的価値をきっと多くの人が発見してくれるだろうと思っていました」

 40年にわたる地道な努力が公に評価され、昨年秋、日本の文化功労者に選ばれました。

 昨年末、小松所長は清華大学との学術交流で北京を訪れ、北京市内で一般向けの公開講座も開催。若手研究者のみならず、多くの日本のサブカルチャー愛好者をひきつけました。ご多忙の日程の中、移動の車中でCRIインタビューに応じてくださいました。

 今週と来週は「妖怪学」の専門家で、国際日本文化研究センターの小松和彦所長にお話を伺います。

 今週は妖怪学との出あい、妖怪研究の意義をめぐって、来週は妖怪博士とそのお友達です。漫画家の水木しげる氏、小説家の京極夏彦氏とのお付き合いでのエピソード、そして、妖怪博士の妖怪に対するお好みなどを伺います。日本の妖怪ブームの根源に迫るお話です。どうぞお聞き逃しのないように。

【プロフィール】

小松 和彦(こまつ かずひこ)さん  

 国際日本文化研究センター所長

 1947年東京都出身。
 文化人類学者、民俗学者。口承文芸論、妖怪論、シャーマニズム、民間信仰などを研究。
 文化人類学の切り口の1つとして、妖怪について調べ研究し、学問として確立。
 2016年10月 日本の文化功労者に選ばれる。
 中国では、学術界だけでなく、ACG(マンガ、アニメ、ゲーム)など日本のサブカルチャの愛好者から「妖怪博士」として知られている。

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v 2月7日 火曜日 2017-02-07 20:41:00
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