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2月28日 火曜日

2017-02-28 19:33:42     cri    


1時間目 イタズラ爺さん・奥田正彦さんのハンコ彫り――「正月五日独り東郊に歩す」、中国現代文学の散歩道~李敬澤「趙氏孤児」(4)

担当:王小燕、斉鵬

2月28日 CRI局ビル13階からの眺め

 2月も最終日を迎えました。先週半ばから北京は最高気温が10度以上の日が続いています。土日、ダウンジャケットを着て外を歩いていたら夏のような暑さでした・・・(汗)。しかし朝晩はまだまだ氷点近くの気温で、油断すると風邪を引いてしまいそうです。気候の変わり目、毎朝どんな服装で出掛けるか悩むここ最近ですが、連日の青空で、なんだか幸せな気分です。

【イタズラ爺さん・奥田正彦さんのハンコ彫り】

 1月にスタートした新コーナー「イタズラ爺さん・奥田正彦さんのハンコ彫り」。今月の奥田さんの印文は「弄春妍」(しゅんけんをろうす)。江戸時代の詩人・館柳湾の漢詩「正月五日独り東郊に歩す」の表現です。

【現代中国文学の散歩道~李敬澤「趙氏孤児」(4)】

 これまでの放送では作家、文芸評論家の李敬澤(り・けいたく)の小説「趙氏孤児」の第1部「王妃の陳情」、第2部「二つの取るに足らないこと」、第3部「少年夷皋と熊の手」を紹介してきました。今回は第4部、「天意は高く問い難し」です。王小燕、星和明と斉鵬の朗読でお届けします。

 このコーナーは中国文学の翻訳誌『新しい中国文学 灯火』雑誌社の後援により実現したものです。『灯火』は中国で最も権威のある文学雑誌『人民文学』の日本語版として、2015年12月に創刊。これまでに全3冊が刊行されています。初回からシリーズでご紹介している小説「趙氏孤児」は、去年3月に刊行した「特別版」に掲載された作品です。翻訳は水野衛子(みずの・えいこ)です。

★第4部「天意は高く問い難し」

 初秋のある日、突然大きな星が天空を横切った。各国の人々は、星が重要な知らせを告げに来たと思い、天下のあらゆる知識の源泉とされる周王朝の太史台に答えを求めた。太史台の史官や院士らが討論した結果、「七年以内に宋、斉、晋の君主は全員政変で死ぬであろう」と宣告。そして七年後、晋の趙盾は冤罪を着せられていた。

★ちょっと難しい用語

杵臼(しょきゅう):宋の国の昭公(しょうこう)。

鮑(ほう):昭公の弟。

斉(せい)の懿公(いこう):斉の王の1人。

趙穿(ちょうせん):晋の大将。

董狐(とうこ):晋の太史。

 『温故一九四二』:劉震雲原作の小説。「趙氏孤児」の作中では馮小剛(フォン・シャオガン)監督による同小説の映画化作品「一九四二」(2011年10月公開)を指す。

【背景】

★李敬澤について

 1964年天津生まれ。 北京大学卒。中国作家協会副主席、中国で最も権威ある文芸雑誌『人民文学』の元編集長。著名な文芸評論家で、中国の作家たちの尊敬を集めるとともに畏怖される存在でもあります。

 幅広いスタイルの作風の作家としての顔もあり、『検証千夜一夜――21世紀初の文学生活』、『文学のために申し開きをする』、『反遊記』、『小春秋』、『理想的な読者へ』などの著書があります。

★「趙氏孤児」について

 司馬遷の『史記』にも出てくる史実をもとに、元代の劇作家・紀君祥が元曲として創作した中国の有名な悲劇の一つで、18世紀にはフランスの作家ヴォルテールによって翻案され、ヨーロッパで舞台化された最も古い中国の芝居でもあります。

 中国でも繰り返し京劇などの伝統演劇や話劇の舞台、テレビドラマに取り上げられ演じられてきました。近年では、陳凱歌監督が映画化、日本語訳『運命の子』として、2011年に日本でも公開されています。

 これら良く知られた「趙氏孤児」は、霊公殺害の冤罪で趙家が将軍・屠岸賈(とがんこ)によって、一家全滅の罪に問われた際、趙家に恩のある公孫杵臼(こうそんしょきゅう)や程嬰(ていえい)らによって助け出され趙盾(ちょうとん)の孫・趙武が一人生き延びる。やがて趙武が長じて一家のあだ討ちをするという復讐の物語です。

 李敬澤のこの小説はその有名なストーリーのエピローグ、またはスピンオフともいえる内容になっています。霊公と趙盾との確執(かくしつ)に、中国の現代にも通じる諸問題を見出すという、単なる歴史小説を超えた語り口になっています。

2時間目 中国の大学生と共に、新潟を語る~新潟県・飯田郁子さんに聞く(上)

聞き手:王小燕

 毎月最終週に放送する「日本の自治体職員在中国 加油!」シリーズ。雪国・新潟県から北京に駐在している、飯田郁子さんにお話を伺います。

 このコーナーで新潟のお客様を迎えるのはこれで4回目ですが、新潟の魅力はまだまだ語り尽くせません。話し手が変わると、また違った新潟の風景が見えてきます。

 本日もソーシャルメディアに届いた書き込みなどを交えながら、番組を進行していきます。それと同時に、北京、広州、厦門など全国各地の大学からCRI日本語部でインターンをしている大学生のみなさんが、スタジオ見学とあわせて番組にも参加してくれました。

 北京滞在歴まもなく2年になる飯田さん。お米、雪、お酒といった型にはまった新潟像に満足せず、斬新で、ディープな新潟のイメージを届けたるべく、熱く語ります。取材の内容は今月と来月の2回に分けて、お届けします。

 一回目ではまず、主にネットユーザーや中国人の大学生から届いた新潟のイメージを取り上げ、お話を伺います。これまでに体験したことのない斬新な新潟の旅を、飯田さんの案内で楽しみましょう。

 

(左)収録後、インターン生のみなさんに囲まれる飯田さん(右3) (右)スタジオ収録見学者への記念品、新潟市北京事務所提供

■飯田郁子さんのインタビューから

聞き手:もうすぐ本帰国のようですが、北京で過ごした2年間をどう振り返りますか。

飯田:自分自身を見直す良い機会になりました。また、赴任前は中国で生活することで中国のことを少しでも「理解したい」と思っていましたが、2年近く経っても、やはりわからないままです(笑)。

  この2年間は自分にとって、とても重要なものだという予感がしているのですが、具体的にどのように重要なのか自分でもわかっていません。この意味は、数年後、10年後とある程度時間が経ってからわかるのではないか、とおぼろげながら思っています。

聞き手:新潟は日本では、スキー伝来の地として知られ、中国からもスキー客がよく訪れます。飯田さんの故郷・妙高にもスキー場があるようですが、冬になると、よくスキーをしますか。

飯田:スキーは子供の時はやりましたが、中学生くらいまで。その後は全くしていないのです。確かに最近、中国人のスキー客が多く訪れているようですね。うれしいことです。川端康成の『雪国』が中国でよく知られているようですが、新潟はその「雪国」の世界ですので、どんどん来てください。

 日本にはスキーをできる場所がたくさんありますが、なんたって、新潟はスキー発祥の地です。1911年に、新潟県高田町(現上越市)でオーストリアの軍人テオドール・フォン・レルヒ少佐が日本で初めてのスキー指導を行いました。スキーをしながら、こういった歴史と文化を同時に味わえることが、新潟ならではの魅力だと思います。

【プロフィール】

飯田 郁子(いいだ あやこ)さん

新潟県妙高市(旧新井市)出身

2008年 新潟県庁入庁

2008年~2011年 病院局(県立病院)勤務

2011年~2014年 文書私学課(現 法務文書課)勤務

2014年4月~2015年3月 自治体国際化協会(CLAIR)本部に派遣研修

2015年4月~ CLAIR北京事務所所長補佐として、北京駐在

      この3月末に日本に本帰国する予定

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