西柏坡記念塔と記念館
一時は根拠地だった延安も奪われるなど国民党との苦しい内戦を戦っていた共産党でしたが、河北省の石家庄市も1947年の11月に解放し、翌48年4月には延安を奪還して、いよいよ全国的な戦いを展開するために5月に河北の平野部を見下ろす西柏坡に移ってきました。ここから内戦の勝利を決定づけたと言われる3大戦役を指揮し、土地改革の方向性を決める全国会議が開かれ『中国土地法大綱』が公布されました。また、中央銀行である中国人民銀行が成立し、最初の人民元紙幣が発行されるなど、新中国の骨格が形づくられた場所だと言われています。
記念館内部は当時の共産党の事績を立体的に展示している
記念会の内部は、当時の中国共産党の事績が様々な資料を使って、分かりやすく立体的に展示されています。比較的、最近出来た施設だけに展示の仕方も洗練されています。
そして、当時の幹部たちの住宅や仕事場も忠実に再現されています。メインの「中国共産党中央旧址」は、実は元の旧址を忠実に再現したものです。元共産党中央があった場所は1960年代にダムが出来て水没していまいました。しかし、その前に建物は精密に測量された上で解体され、窓枠や扉など部材がそのまま残されました。そして、1970年に元の場所から60mほど高い場所に再現したのだそうです。
忠実に再現された共産党中央旧址の7期2中全会場
中国共産党7期2中全会は北京に移る直前に開かれた
それにしてもすごい人でした。土曜日というのもあったかもしれませんが、例えば、毛沢東の居室と書斎があった建物などは押すな押すなの人で、通り過ぎるのが精一杯でした。中にはそろいのユニフォームを着て団体で「学習」に来ている人たちもいましたが、大半はごくふつうの人たちです。そうした人たちは「学習」というよりはちょっとした好奇心で来て、へぇーと思い、そうだったんだ!と納得しているようでした。
毛沢東の家も観光客がひしめいていた
1949年3月23日、毛沢東をはじめとする中国共産党中央が北京(当時は北平)を目指して出発しました。それから64年後の8月31日午後、私たちも今は高速道路になった道を通って北京を目指しました。
1949年3月23日 毛沢東など中国共産党の幹部は北京に移動した
6日間の河北省の旅はこうして終わりました。北京から近い河北省は、これまで数え切れないほど行きました。しかし、前にも書いたように一省で日本の半分もの面積がある河北省には、まだまだ知らない魅力あるスポットたくさんあることが分かりました。また、河北省は北京をぐるっと囲むようにあります。河北省の中で移動するのは案外距離があって大変ですが、それぞれむしろ北京から直接行けばわりと簡単に行けます。これからもぜひあちこち行ってみたいと思いました。(文:大野、写真:大野、李陽)
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