2010年のアジア大会の開催地・広州は華南地区の政治や経済、文化、科学、そして交通の中心地でもあり、さらに中国の沿海開放都市で、国家総合改革試行地区でもあります。今日のこの時間は広州の都市建設の歩みをご紹介しましょう。
新中国が成立する前の広州は、都市とは呼べないような状態にありました。1949年、広州の道路の総延長は228キロで、住宅の総敷地面積は1231平方メートルしかありませんでした。広州の緑化面積はわずか1.56%で、市内の公園はたった4カ所しかありませんでした。道路はでこぼこだらけで整備されておらず、水道水もきちんと浄化されておらず、電力も満足に供給されていませんでした。
1978年、中国の改革開放政策が始まると、広州の都市建設は急速に進んでいきます。このときのことを広州市民の蔡景松さんは「広州は大きく変わった。高層ビルが雨後の竹の子のように次々と建てられた。また、道路も沢山造られた。とりわけ広州の周辺地域に新しい道路ができたことで、生活がとても便利になった。それから、公園もだいぶ増えた。広州の人たちが遊びに行く時、その選択肢も増えた」と語りました。
1991年から2000年の間に、広州の都市建設のための投資総額は741億2500万元に達し、過去10年間の24倍となっています。現在、広州の都市環境や、交通など様々な面で根本的な変化が起きています。広州市建設委員会の劉金竜博士は「交通面がかなり改善された。地下鉄や市内の環状道路など大きなプロジェクトが完成したことで、都市の発展に伴う交通渋滞が緩和された。また、都市の環境と衛生面も改善されている。特に、暮らしやすい都市づくりのために、都市の緑を増やす緑化工事に力を入れている」と述べました。
広州のこうした変化は国内外からも評価されていて、「全国衛生先進都市」「中国の優秀観光都市」、「国際ガーデンシティ」という称号を得るだけでなく、「中国居住環境模範賞」といった賞も受賞しました。
21世紀に入っても、広州の都市建設は続いています。2001年から2005年までの5年間で、あわせて945億元が投入されました。2005年、広州市の道路総延長は5076.41キロ、地下鉄の総延長は59.25キロに達しました。それと同時に、電気、水道、ガスなどの公共事業も安定した成長を続けています。劉金竜博士は「私たちは国際化に着目し、また生態系と環境面ではある程度の実績をあげることができた。これから、都市システムとそのレイアウトを最適化することに力を入れていく。省エネ型で、環境にやさしい、中国で最も美しい緑園都市の一つとなることを目指す」と紹介しました。
広州は、経済の中心地で国際的な大都市、創業の都(みやこ)、エコロジー都市という目標に向かって着実に進んでいます。2010年、アジア大会が開催される時には、さらにすばらしいインフラ施設ができ上がっているのに違い有りません。
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