誰にとっても、またどの国、どんな社会においても、できる限り多くの教育を受けることは望ましい事だと思います。今、中国では、大学卒業生は就職難という壁にぶつかっており、大学教育のあり方に対する意見も出始めていますが、そんな動きとは関わりなく、大学は依然として多くの学生を引き付けています。学生たちにとって、大学はただ知識を学習する場所だけではなく、社会人になる前に、個人の綜合的素養を向上させる場とも言えるでしょう。
今月の6日から9日まで、950万人の受験生が全国統一の大学入試試験に参加しました。しかし、合格できるのはそのうちの530万人で、競争率は依然と高いのです。スポットライト、今日のこの時間は中国の大学入試についてお伝えしましょう。
入試試験の最初の日、厳しい暑さにも関わらず、北京市石景山区のある試験場の外で、多くの親たちは試験の終了を待っています。
中国では、大学の入試試験を「高考」と言います。大学の入試試験は、高校卒業生や社会人が大学に入る主なルートで、この試験の結果だけで大学への合否が決まるだけに、人々の強い関心を集めています。中国は1970年代の末から、大学生の入学試験を復活させ、募集者数は年々増えています。合格率も最初の頃はわずか5%でしたが、今では50%以上に上っています。それにもかかわらず、今でも多くの学生が大学生になる夢を適えることは出来ません。
一方、順調に試験に合格した学生も、入学する前に、難しい選択を迫られる事になります。それは規定により、試験の後、志望の学部や専攻を選ばなければならないことです。自分の成績や志望による選択のチャンスは、一回しかないので、受験生たちとその親を大いに悩ませます。
周頴さんと宛欣さんは今年の受験生です。周さんは大学で法学を勉強したいと考えています。自分は法律を勉強したいし、親もこの専攻を選べば、これから就職しやすいと思っているからです。宛さんは師範学科を選びたいと考えています、この仕事が好きだし、先生の仕事は休暇が多いのも魅力の一つだそうです。
このように、多くの学生は志望学部や志望学科を選ぶ時、自分の興味があるものにしようとしますが、親たちは卒業後の進路をよく考えた上、選択しようとする傾向が強く、結果的には、就職しやすい学科に受験生が集中することになりがちです。
しかし、今、人気のある学科が、必ずしも卒業する4年後に就職しやすい学科とは言えないでしょう。北京師範大学の教育専門家鄭新蓉先生は次のように話しています。
「数年前に募集定員を増やした事が、今の就職難を招きました。その影響で、一部の受験生とその親は就職しやすい学科を第一志望にしようとしています。しかし、今人気のある学科は数年後、飽和状態となり、過剰になるかもしれませんよ」
鄭先生はまた、「就職状況だけに頼った学科の選択は賢いやり方ではないと思います。受験生や親は学科の背景をよく分からないまま、選んでしまうからです。」と語りました。また、学校側に対して、鄭先生は、「大学や社会、関係部門はもっと受験生に専攻志望に関する指導を行って、どんな人材を求めているか理解してもらう必要があるでしょう。また大学の学科設置のあり方についても、さらに合理化し、科学性を持たせ、経済社会の発展に順応できるようにすべきだ」と主張しています。
「大事な事は、学校側が企業との情報交換やコミュニケーションをするシステムを確立することです。つまり社会が求めるものに素早く反応できるシステムを作ることです。」と語りました。
関係筋によりますと、今、一部の大学は学科の設置のあり方を調整しました。専門の範囲が狭く、適応性の悪い学科を取り消したほか、幅広い知識を持つ複合型の人材の育成を重視するようになったのです。中国の名門大学、中国人民大学は今年、外国語学院で第1専攻のほかに第二専攻を設けました。これについて、人民大学生徒募集弁公室の王鵬主任は次のように紹介してくれました。
「外国語をマスターすることは学生の将来にとってかなり重要なことです。しかし、外国語はあくまでもひとつの道具です。外国語学院の学生は外国語ができるものの、具体的な専門はない。これは彼らにとって不利なことです。実用性のある専攻と外国語を両方うまく身に付ければ、社会での競争力も強くなるでしょう」
大学教育は人的資源の養成にプラスとはなるものの、大学教育を受けたからと言って人材になれるとは限りません。また小学校から中学校、高校という12年間の勉強は入試試験のためではありません。もちろん、大学での勉強もただ就職のためではないでしょう。知識、技能、素養、道徳、人間としての勉強や修業は生涯にわたるもので、大学入試試験はこの長い道のりの一里塚にしか過ぎません。(劉叡琳)
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