CCTV・中央テレビの2005年十大経済人物にランクインされた李彦宏さんは世界最大の中国語検索エンジン、百度のCEO(最高経営責任者)です。百度の成功で、今、IT産業の若手リーダーとして、注目されています。中国では、かつて中国初の銀行「票号」を初め、商売で成功した山西省出身の人を「晋商」と呼ばれたので、山西省陽泉の出身の李さんは「新晋商」とも呼ばれたことがあります。
李さんは1991年に北京大学を卒業した後、アメリカに渡り、修士号を取得してから、アメリカのシリコンバレーにある会社に誘われたため、博士課程を中止して、仕事を始めたのです。あわせて、アメリカに8年間滞在していました。また、その経験を『硅谷(シリコンバレー)商戦』にまとめて、中国で出版しました。シリコンバレーで経験を積んできた李さんは、1999年に200万ドルのベンチャー投資、融資を取り付けて、親友の徐勇さんと一緒に中国に戻り、百度ネットワーク技術有限公司を作りました。
その時、ほかのほかのIT会社と違って、ポータルサイトではなく、大学時代からの専門で、アメリカで学んび、シリコンバレーでの仕事の内容だった情報検索と関係のある検索エンジンを作り始めたのです。「百度」が立ち上げられたときはgoogleが中国に進出した翌年でしたね。(はい。)googleのような巨大なライバルがあるにもかかわらず、検索エンジンをやるというのは、そもそも長く検索関連のことを従事して、一番詳しい分野だということと、アメリカ誕生のgoogleと違って、中国人が使いやすく、中国人の検索習慣に合うものを作りたいという強い思いがあったからこそなんです。
会社名の「百度」は、中国人なら誰でも知っている、有名な「衆里尋他千百度」の句にちなんだものです。これについて、李さん曰く、会社名は中国文化を代表するもの、かつ検索エンジンとつながりがあるもの、ただ、直接すぎるのも好まない。国内では「捜」と関係のある名前が多すぎで、それと違ったシンプルな名前にしたいということで、「百度」にしたのです。中国人として誇りに感じると同時に、アメリカに長くいたおかげで、アメリカ文化にも通じています。これはまさに中国らしさにアメリカの先進性を取り入れた「百度」の性格、そのものです。
ITバブルの時、ベンチャー投資によるIT会社は「焼銭」と言われるように、前期投資に大量の資金をつぎ込み、業績が上げられぬうちに、お金を使い切って、次の投資がこないままで終わってしまう会社が多かったのですが、それとは違って、李さんは起業する時に、通常半年間で尽きる資金で一年分の予算を作り、北京大学で安いオフィスを借りて、7、8人の社員で頑張ってきたのです。そこで、ようやく、2000年の9月ころに二期投資が来て、会社が業務拡大の道を歩み続けてきたのです。
2005年8月5日、「百度」がナスダックで上場しました。上場当日、株価は27ドルから151.21ドル122.54ドルでまでに上り、一日で353.85%の値上げで記録しました。アメリカ本土の会社を含めて、過去五年間の最大値上げ幅記録です。そこで、「百度」は一日で歴史上上場当日収益の高い株ベストテンにランクインしました。この日の奇跡について、CEOの李彦宏さん本人までも不思議に思っていたそうです。その理由を、李さんは二つ挙げました。一つは「成長」、もう一つは「検索」です。「成長」というのは「百度」が中国で成長している会社で、「検索」はアメリカ市場でも珍しい産業ですから、このような会社は注目されることも不思議ではありません。
「百度」のナスダック上場は中国の知識経済の本格的な到来を示すものだという評論家もいました。李さん自身はこれまでの成功は「集中」のおかげだとよく言っています。大学時代のクラスメートは続けて検索の仕事しているのは、李さんだけだということです。検索エンジンにはこの「集中」さ必要で、今までの経験から見れば、多元化を目指すとすぐだめになるのだと、李さんは言うのです。
今年、第一四半期、「百度」の研究開発費は前より8.7%増え、2005年の同期よりも136.7%増えたのです。この面での支出は研究開発チームの人数拡大に使ったということです。これはこれからの市場競争に備えるものです。
これだけ忙しそうな李彦宏さんも周に五日は必ず家に帰ってご飯を食べる、家庭が第一だと考える「新好男人」です。庭で野菜を作ったり、定年後、奥さんと世界を一周するという夢を見ているそうです。仕事もできるが、家庭も大事にする……このあたりが、彼が多くの若者のアイドルのような存在になったゆえんなのかもしれません。
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