中国南方の大河、珠江の上流に、雲南省曲靖市の馬雄山を源とする2本の主な支流、南盤江と北盤江がある。南盤江は南下してから急に北に折れ、北盤江はわずかに北上してからずっと南下し、この2本の川はそれぞれ数百キロメートル流れたのち、貴州西南部で合流する。
この南盤江・北盤江の中下流域が、黔西南プイ族ミャオ族自治州である。ここには驚くべきカルスト地形をもつ万峰林と中国第五番目の大きさの淡水湖である万峰湖があり、湖畔の小さな盆地の縁にある山の中腹には、緑に覆われた古いプイ族の村、南竜がある。
数年前に学者たちがこのプイ族の村を「発見」した。村には150世帯があり、査・韋という苗字がほとんどで、今でも「男耕女織」という古い生活様式を保っている。機織り機、石うすなどの生活用品がそろっており、人々は手織りの木綿を染めて服に仕立て、よく保存された瓦ぶきの高床式家屋に住んでいる。もっとも興味深いのは、村全体の家屋が「八卦陣」によって配列していることで、よそ者が村に入ると、すぐに道に迷う。これは他の民族の侵入を防ぐためだという。村には樹齢百年以上のカジュマルの木が百本あまりあり、枝と葉が生い茂り、根が絡み合ったこの木は、古い村を隙間なく覆っている。この典型的なプイ族の古建築群は、考古学的・民俗学的な史料価値を持つものである。
村は天にも届きそうな古いカジュマルの木に取り囲まれ、 山の斜面に建てられている。 木造家屋の上部は居住用、下部は家畜の飼育に用いられている。
プイ族の女性は織布や染色をするほか、刺繍にも長じている。 韋万富さんの息子の奥さんは、彼女の母も使ったという、 手作りの赤ちゃんおんぶ紐を見せてくれた。
さらに貴重なのは、南竜は今でも八音楽隊を完全に保存していることである。貴州省政府は南竜のある巴結鎮を「プイ族八音の里」と命名した。数百年もの間、南・北盤江沿岸のプイ族の村には「八音坐唱」が代々伝えられており、プイ族の生活に不可欠なものとなっている。民族の祝日、冠婚葬祭、家屋新築、誕生祝いなどのとき、「八音坐唱」の音で、プイ族の村の老若男女が一斉に集まってくる。「八音坐唱」はプイ語では「万播笛」といい、吹奏・弾き語りの意味である。早くも唐代(北宋起源説もある)にプイ族の集中居住区で行われていた。「八音」とは、8種類の民族楽器からなる楽隊であるため、そう名づけられた。通常、笛、簫筒(無膜笛)、牛骨(馬骨)胡、ヒョウタンの琴、月琴、鼓、包包鑼、小馬鑼などの楽器を指す。古くから伝えられてきた曲目はすでに少なくなっており、それらは「音楽の生きた化石」と呼ばれる。
南竜村は、冬でも緑の木々に囲まれており、空気がきれいだ。サトウキビの収穫シーズンには、村の周囲の山の斜面にある大きなサトウキビ畑で、青い衣を着たプイ族の男女が談笑しながらサトウキビを刈っている。
数日間村に滞在し、のどかな田舎の生活を十分に堪能した。
60歳の南竜村の大工査蘭政さん(右)は 南竜村八音楽隊の一員で、音律に詳しい。
プイ族:
主に貴州省南部、貴州省西南部の2つのプイ族ミャオ族自治州と安順市、貴陽市に集中的に居住し、貴州省東南部のミャオ族トン族自治州、銅仁地区、遵義市、畢節地区、六盤水市、雲南省の羅平、四川省の寧南、会理などの地区にも分布している。2000年第五回全国人口普及調査統計によると、プイ族の人口は297万1460人。プイ族にはプイ語があり、シナ・チベット語系チワン・トン語族チワン・タイ語支に属し、チワン語と密接な関係がある。プイ族の先祖は、百越族(古代の江蘇、浙江、福建、広東一帯に分布)から発展してきたとされている。プイ族は「プイ」、「プヤイ」と自称している。民族言語、古称、自称、そして地理分布から考察すれば、プイ族はチワン族と同源関係にある。魏晋南北朝時代から唐代には、プイ族とチワン族は「俚僚」、「蛮僚」、あるいは「夷僚」と呼ばれていた。後に長期的に分かれて居住したため、経済・文化生活や風俗習慣に差異が生じ、次第に2つの別の民族となっていった。プイ族は百濮(春秋時代に現在の湖北省にいた種族)から発展してきたとする人もいる。戦国末期から前漢代に栄えた「夜郎」国は、今のプイ族と関係があるとする人もいる。夜郎国の支配地域の中心は今の盤江(古称:豚水)流域にあり、盤江地区は従来プイ族の集中居住区であったためである。
「人民画報」日本語版より
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