プミ(普米)族の人口は3万3600人(2000年の全国人口調査より)。主に雲南省の蘭坪、麗江、維西、永勝などの県と寧ろうイ族自治県に居住しており、その他は四川省の木里チベット族自治県と塩源県に居住している。
プミ語を使い、この言葉は漢・チベット語系、チベット・ミャンマー語族、羌語派に属する。南と北の2種類の方言があるが、その違いは大きい。プミ族はかつてはチベット語の文字を使用したこともあるが、あまり普及しなかったので、現在は漢語の文字が通用している。
プミ族のほとんどは万物に霊魂があるとする原始宗教を信仰し、その他はラマ教と道教を信仰している。
プミ族はその居住地区によってそれぞれの呼称があり、雲南省の蘭坪、麗江、永勝に住んでいる人たちは自分たちのことを「普英米」と称し、寧ろう町の人たちは「普日米」あるいは「培米」と称し、これは「白人」という意味である。漢語の史籍では西番あるいは巴苴と称されている。
新中国成立後の1960年に、この民族の要望に基づき、統一的にプミ族と名づけられた。プミ族はもともと青海・チベット高原に住み、青海、甘粛および四川周辺の遊牧部落であったが、西暦7世紀前に現在の四川南西部地区に移駐し、西昌地区の主な民族の一つとなり、漢族・チベット族などの民族と緊密に行き来している。元朝の頃に、プミ族の一部の人たちは蒙古の軍隊と共に雲南省のテン西地区に入り、そこで発展し、成長をとげてきた。プミ族は主に農業に従事し、90%以上の土地が山間地帯にあるうえに、生産様式が立ち後れていたため、生産は発達していなかった。新中国成立後、特に1988年に、蘭坪ペー族・プミ族自治県が設立した後、各方面で大きな発展を遂げている。
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