赫哲(ホーチォ)族は、中国東北地方の黒竜江省や吉林省に住む少数民族の一つで、人口はわずか4640人です(2000年第五回全国人口調査より)。
しかし赫哲族は長い歴史を持つ民族で、祖先たちは早くから黒龍江、松花江、ウスリー川という三つの河の流域で暮らしていました。20世紀の初め、ホーチォ族社会はまだ原始社会の末期の父系社会の段階にあり、木を削ったり、縄を結んだりして物事を記録していました。1949年新中国が成立した時、人口は300人余りに過ぎず、絶滅寸前でした。
漁と狩猟を生業としていましたが、今は、農業や養殖業なども加わって多角経営に変わりました。
赫哲族は、独自の民族の言葉・赫哲語を話していますが、文字はなく、漢字を使っています。民族の起源や英雄、風物、宗教信仰などに関する物語は、代々口伝えで伝わっています。そのうち、有名な叙事長詩「イマカン」が50余部もの構成からなり、語りに歌を加えると、物語が終わるのに数日間もかかるということです。
さて、赫哲族は、かつて魚の皮で作られた服を着、犬を連れて狩猟していたことから、「魚皮部落」或いは「使犬部落」と呼ばれていました。今は、布の服を着るようになりましたが、「魚皮服」は、一つの工芸として年配の人から若者に伝わっています。
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魚の皮を揉んで鱗を取る |
板に皮を張って干す |
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トウモロコシの粉で、皮を処理する |
仕上げた魚皮の服 |
魚から皮を取ることから、魚皮の服の仕上がりまで、20余りの加工段階があるそうです。ここ数年、赫哲族は、魚の皮で服を作るほか、魚の皮に絵を描く「魚皮画」を作るようになりました。世界各地の愛好者から人気を博しています。2006年6月、赫哲族の魚皮工芸技術は国の無形文化遺産に登録されました。
魚皮画
ところで、赫哲族には、もう一つの独特な工芸があります。それは白樺の木の皮を使った「樺皮工芸」です。昔、樺皮で漁労用の船や揺りかご、帽子、物置など日用品を作っていましたが、今は、「樺皮画」も生まれました。(編集:GK)
樺皮で作られた船、帽子、揺りかごなど 樺皮画
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