中国国際放送局紹介 日本語部紹介
Home
「生き人の墓」の謎
   2007-09-21 10:57:05    cri

    

 山々に囲まれた貴州省鎮寧県隔利郷(郷は、県に属する行政の単位)には、「蒙正(メンゼン)」という村があります。「蒙正」は地元の方言の発音で、「残された」という意味です。

 村では、今も年に一回、先祖を祭る行事を盛大に行うしきたりを守り続けています。この村の出身で他の村に嫁いだ女性や都会へ出稼ぎに行った村人も、みんな帰ってきます。そして1000人以上の村人が村のはずれにある小山に集まります。そこにあるいくつかの古びた石窟が、「先祖誕生の地」とされ、その前に肉や酒を供えたり、線香を燃やして拝んだりして、先祖を偲びます。

    

 祭られた石窟は「生き人の墓」と呼ばれています。というのは、村人の先祖は、これらのお墓から「脱出した人々」だったことによるものです。

 彼らはなぜお墓の中に入ったのでしょうか。歴史学者が調べた結果、紀元前202年から西暦8年までの前漢時代、戦争で敗れた「夜郎国」の兵が、現在の隔利郷に入ってから姿を消したという記録が残っていたそうです。

 「夜郎国」といえば、「夜郎自大」という言葉の元となった国名です。広辞苑によると、「夜郎自大」は「史記(西南夷伝):夜郎の王が漢の広大なことを知らず、自らを強大と思って漢の使者と接したことから、自分の力量を知らないで、幅を利かす態度をとる例え」ということです。

 前漢時代に隔利郷に潜り込んだ夜郎の末裔は、200年ほどかけて、数が大きく増えました。彼らは、いつかまた「夜郎国」を復活させたいと考えたのです。当時、すでに後漢の三国時代に入っていました。日本の方にも親しまれた「三国志」の時代です。夜郎の末裔たちは、地元を管轄している蜀国から独立するため、戦争を起こしましたが、敗れました。蜀国の王は、彼らが再び蜂起することを恐れて、遠い陝西省に追放するよう命じました。

 陝西省に行ってしまったら、再びこの地に戻ることはできません。またお年寄りや女性、子供たちは、遠い旅路に耐えられず、途中で倒れてしまうことも想像できます。どうしたら、その悲惨の運命から逃げられるのでしょうか。

 村の長者たちが知恵を絞り、よく考えました。そして、お墓を作ることにしたのです。お墓の中に大きなスペースを作って、水や食料も中に入れ、中にいる人が自由に空気を吸うことができるように通気孔も見えないところに作りました。

 そして朝廷の兵たちが来る前に、一部の村の人がお墓の中に入り、身を隠したのです。そして、ばれないように数日間、ずっとお墓の中にいました。

 陝西省に行かれた人々は、誰も戻ってくることができませんでした。しかし、お墓の中で生き残った村人は、その後も、この地で生活を営み、子孫を作って、村を守り続けることができたのです。(編集:藍暁芹)

民族ガーデン
v イ族の少女の成人式ーースカートを穿きかえる 2007-09-14 09:52:46
v ハニ族の「新米祭り」 2007-09-07 10:07:14
v 同じ大学に合格したコーラオ族の双子姉妹 2007-08-31 11:09:17
v ヤオ族男子の成人式「度戒」 2007-08-24 09:48:43
v 撒拉族の「木編み」住居 2007-08-10 16:18:40
v 朝鮮族の「流頭節」 2007-08-03 12:41:13
  • 今日のトップニュース
  • 今日の国内ニュース
  • 今日の国際ニュース

  • • 基礎中国語
     皆さんは、ここで中国語と日本語に耳を傾け、フラッシュによる動画を楽しみながら、中国の風習や伝統文化を思う存分味わうことができます……

    • 「北京ワクワク」の購入について
     中国語講座「北京ワクワク」(上巻と下巻)のテキストは、日本の皆さんが初めて中国語会話を学習するための入門編です……
    |  link  |  E-メール  |