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酒仙ー曹参(3)
   2007-07-09 10:23:00    cri

 「いかにも、私めもそう思いまする。つまり天下を平定し、これまで維持してこれたのは、高祖さまと蕭何どのの力によるものござりまする。つまり、陛下は高祖さまに遠く及ばず、私は蕭何どのに遠く及びません。ですから、いまは高祖さまと蕭何どのが決められた法令をしっかり守るだけでよろしいのでござりまする」

 これには恵帝、何かを悟ったのか、「ははは。わかったわかった。朕もそちのように何もしなくてもよいのだな。そういうことか」と答えたそうな。はい!

 実は、中国には『蕭規曹随』という成語がありますが、これは前の人が行った方法を後の人がそのまま踏襲することを意味するものです。これは蕭何が作った規則や法令を曹参が受け継いだ故事によるものです。また、司馬遷は、その著「曹相国世家」で次のように書いています。曹参は、かつてはかの韓信と一緒に戦い、韓信の働きが当時あまりに目立ったので、彼はいくらか韓信の陰に隠れてしまった。そして韓信が死に、功臣としては曹参だけが、侯、つまり領主に封じられた。かれは宰相となったあとは、当時の実情、つまり、以前の秦王朝の残酷な政治と戦乱に次ぐ戦乱の直後で民百姓の心はすさみ、人々は飢え、みんなが休息を欲していたということを考え、何もしないことが世情にかなった政策だと判断していた。また、当時は、恵帝の母である呂后がにらみを効かしていたこともあって、彼は自分の思った通り政治をできなかったこともある。

 司馬遷はこう書いていますが、のちの人は、曹参は老獪な人物で、当時は呂后にも、恵帝にも、民衆にもうける政治をしたのだといったりしています。そうかもね。世情に長けた人物であったことは間違いないですね。全般的に見ると、彼は、民衆に太平な暮らしを送らせるのが一番と考え、そのことを実現するため、宰相という身分でありながら、自分は大酒を飲み、他人にも大いに酒を飲ませ、政治上では何もしないでいたというのは、当時ではある程度進歩的な意義があったと、私じゃないですよ。一部の学者は見ています。つまり、韓王朝の基盤確立にこれが大きく貢献したんですね。でも、残念ながら、宰相となって三年後に彼は亡くなってしまいました。

文化の流れ
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