楽しい酒というのはいいもので、この林涛は自分を一応はコントロールできますから、大したことは起きません。実は、とっくの昔に退職した日本語部の先輩で、酒を飲むとニコニコして自分も飲み過ぎないし、人に酒を勧めますが、飲め飲めと強要したりはしない人がいます。その先輩の酒は実に楽しそうで、酒を実にうまそうに飲むんですね。私なんか、この先輩の飲む様子を肴にして飲んでもいいくらいです。ここでは飲みっぷりとは言えません。というのはこの先輩はそんなに飲まないから。自分で限界だと気付くともう飲まないんです。時には少しも飲みすぎたと思ったのか、黙って隅のほうで寝てますよ。こういうのはいいですね、自分も楽しんでいますし、人には迷惑は絶対かけない。いいですよ、ホントに
ところで中国には昔「勧酒」、つまり酒を勧めるという意味の「勧酒」という詩があったようですね。ご存知かもしれませんが、唐に時代の于武陵という人が書いたものです。調べてみらた、この于武陵は当時の官界を離れ、本と琴をもってあちこちを回り、時にはなんと易者になったというのですからね。後に南の方にある洞庭湖の景色を愛してここに住みつきたいと願ったのですが、うまくいかず、どうしたことか崇山の麓で暮らしたということです。
「勧酒」とは次のとおりです。
君に勧む 金屈巵(キンクツシ) 満酌(マンシャク)辞するを須(モチ)いず
花発(ヒラ)けば 風雨多く 人生 別離足(オオ)し
というものらしいですが、難しいですね。この金屈巵とはなんだべ?と調べてみましたら、金で作った柄がついたお椀のような酒器だということでした。
この詩は友人と別れの酒を飲んだときの様子を表しているようですね。どうな感じだったのでしょうかね。
「ほら、金で作った杯でのんでくれ」
「こりゃ、すまないね。おお!これは高級な杯だね。おっとっとっと!もういいよ。酒があふれちゃうよ」
「いやいや。酒とはなみなみと注ぐものさ。遠慮しないであけてくれ」
「うん!うまい。あんたもどうぞ」
「うん、うまいね。それにしてももう春だね。花が綺麗に咲いているな」
「うん、そうだね。おや?雨がふりだしたよ」
「ホントだ。それに風も吹き出したようだ」
「ま、もう一献」
「はいはい、おっとっと!うまいね。この酒は」
「そうだろう。ところで、君はどこへ行くんだね」
「ああ、遠いところさ。なんだか。君と別れるのがつらいな」
「私もだ。寂しくなるよ、君がいなくなったら」
「そんなこと言わずに、元気出してくれよ」
「うん、ま、飲もう」
「そうしよう」・・・・
「でもな。人生でよき友と別れるのは、つきものみたいだね」
「そうだね。いつまでも一緒にいるというのが可笑しいのかもね」
「さみしくなるけど。今日は飲もう」
「そうしよう」
以上はこの林涛が勝手に想像したものですが、上品な飲みかたですね。私にはできないかもね。
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