阮籍は三国時代の魏の文学者であり、思想家でもありました。字は嗣宗で陳留尉氏(いまの河南省尉氏県)の人、彼の父は阮ウは有名な建安の七子の一人です。建安とは中国の後漢の元号、つまり、西暦196ー220年のことで建安七子はその時代に活躍した七人の文学者の一人ということ。で、その息子の阮籍ですが、彼は儒教的な礼法を嫌い、礼法の士を白眼視していたんですね。そして酒をもって当時の複雑な政治闘争をくぐって自分を守ったとあります。
例えば、魏の太尉である蒋済の下で役につきましたが、まもなく病気を理由に辞職,ついで尚書郎となりましたがこれもすぐやめてしまいました。そして曹爽が彼を招いたのですが、行かなかったところ,間もなく曹爽はなんと司馬懿に殺されてしまいます。でも彼にはかなりの才能があるのをみんなが知っているので、のちになんと司馬懿の下で従事中郎となり,司馬昭の下では大司馬中郎と大役に就くのですが、曹操の曹一族と司馬懿の司馬一族との血なまぐさい争いを避けつため、常に酒を飲んで言い訳をつくり難を逃れたといいます。
例えば、司馬懿の強制的な要求の下に従事中郎という役についていたとき、司馬懿の言いなりになっていましたが、司馬宅で宴会があると彼は必ず来て酒を飲み、あるときはホントに酔ってしまい、あるときは酔ったまねをして人目を欺いたということです。
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