当時、瀋陽からイリまで歩いて1年4ヵ月もかかりました。もう親族とはこの別れから、もう一生会えないでしょう。別れはつらかったですが、イリに移ったシボ族の人々は、ほどなく新しい土地を愛するようになりました。
中国歌劇舞劇院の俳優だった関坤凡さんは七十代で、髪は格好よく真っ白、まだまだ活力あふれる女性です。会場で、故郷、察布査爾(チャブチャルシベ)をたたえる曲を歌いました。
『イリ川が流すところは黄金色の麦の波が打つところ、
花の香りが漂うところ、牛と羊が群れているところ、
それはわが故郷、察布査爾
察布査爾、いいところだ…』
ところで、このお祝いの席に意外にも日本人がいました。中国語が流暢であるだけでなく、シボ族語も話せ、シボ語の歌も歌える児倉徳和さん。東京大学の大学院生で、いま北京大学に留学しています。大学で言語学を専攻していた児倉さんは、研究室の先生がウィグル語を研究していることから、自らも中央アジアの言葉を勉強しはじめたというわけです。
児倉さんは、「シボ族は日本人や漢民族、東アジアの人とやや異なっている。彼らの源流は中国の東北地方ではあるが、中央アジアに移って、彼らの文化は大きく変化した。中央アジアと東アジアの両方の文化を持っているところが非常に面白く感じている」と話しました。
児倉さんがはじめて新疆に行ったのは2001年。そして毎年夏に一ヵ月ほど新疆に滞在するようになりました。日本で見られない広大な平原はとても印象的だったそうです。そして、中国の国内で中国語を話しながら、自分たちの言葉や文化も維持しているシボ族の魅力に引かれたそうです。
|
|
|
シボ(錫伯)族の若者たち |
関坤凡さん(左一) |
イリから駆けつけたトン志明さん(右一) |
さて、この日、察布査爾シボ族自治県金泉鎮の中国共産党委員会政法書記、トン志明さんもお祝いにかけつけました。
トンさんは、最近、察布査爾で日本人とよく会ったそうです。日本と韓国から五つから10の訪問団を接待しました。彼らは、シボ語や旧満州族語などを研究しています。トンさんは、「私が住む金泉鎮はシボ族文化がよく残っているところであるので、日本と韓国の人々の興味も大いに引き付けたと思う。文化には国境がない、民族のもの、伝統的なものは世界でも注目されると思う。」と語りました。
トン志明さんは、察布査爾での「西遷節」の祝い方を教えてくれました。親戚や友人がこの日、川辺や空き地に集まり、酒を飲んだり、歌ったり、踊ったりして過ごすそうです。
ところで、このお祝いに、踊りは欠かせないものです。お祝いには著名なシボ族の舞踊家、春英さんもいらっしゃいました。司会者は「春英先生に従って、踊りましょう」と大きな声で呼びかけると、レストラン内に特別設置された舞台でみんなが楽しく踊りだしました。
来週は、引き続きお祝いの様子やシボ族の人たちへのインタビューをお送りいたします。どうぞお楽しみに。
(担当:藍暁芹 メールアドレス:ran_cri@hotmail.com) 1 2
|