長野県は1940年の冬季五輪の開催権を獲得していたが、第2次世界大戦勃発のため、中止された。札幌大会に続き、1998年、冬季五輪が50年の時を越えて、ようやく長野にやってきた。また2度目のアジア開催でもある。
女子アイスホッケー、スノーボート、カーリングが新設され、7競技68種目が設けられた。72の国や地域の2302人(女子814人、男子1488人)が出場。選手団数、選手数、いずれもこれまでで最も多く、冬季五輪史上最大規模の大会となった。
報道面では、8329人の記者(新聞・雑誌記者が2586人、放送記者が5743人)が携わり、また、3万2千人のボランティアが大会運営を支えた。
地の利も活かした日本は、スキーのジャンプで船木和喜選手がラージヒルで金メダル、ノーマルヒルで銀メダル。スピードスケートでは清水宏保選手がプレッシャーを跳ね返して、金メダルをものにした。またショートトラックの西谷岳文選手、スキー・フリースタイルのモーグルでは里谷多英選手も表彰台の中央に立つなど、日本は金5、銀1、銅4でメダル10個。メダルランキングで、オランダの11個に次いで7位に入った。
中国選手団は、スケート、アイスホッケー、スキー、バイアスロンの4競技40種目に参加した。銀6、銅2で、メダルランキングは16位。スケートの楊揚選手は、ショートトラックの女子500m、1000mそしてリレーで3個の銀メダルを手にして、今大会の獲得メダル数が最も多い中国選手となった。また李佳軍が、男子1000mで2位となり、冬季五輪で男子初のメダルを獲得した。また女子フィギュアスケートで、陳露選手が欧米の強豪の一角に食い込むことに成功し、貴重な銅メダルを獲得した。
今大会では世界記録が7度、大会記録が20度、更新された。メダルランキングの上位3国はドイツ、ノルウェー、ロシア。(翻訳:李軼豪)
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