第14回冬季オリンピックは、1984年2月8日から19日にかけて、ユーゴスラビアのサラエボで行われた。
サラエボ市は、1263年に建設された歴史の長い都市である。そして、第1次世界大戦の開戦の地であり、第2次世界大戦の時には、ユーゴスラビア人がファシズム侵略に抵抗したところでもある。山に囲まれていて、一年の半分は、積雪している。また、第32回卓球世界選手権、スキーのワールドカップなどの国際大会の開催経験もある。
1978年、開催決定後、組織委員会が大会準備に着手。選手村を新築し、現有のスポーツ施設の改修を行なった。
大会には1274人の選手(女子が274人)が出場。選手団の数が、初めて40を超え、49に達した。これは、ウインタースポーツが世界中に普及したことの現れとして受け止められた。プエルトリコ、バージン諸島、セネガル、モロッコ、メキシコが初出場。このうちバージン諸島は大会唯一の黒人選手を派遣した。冬季オリンピック史上の初の黒人選手となった。
報道関係では、記者が7393人(ペン記者が2363人、放送記者が5030人)。また計1万450人のボランティアが、大会運営に携わった。
前回に続いて、中国大陸は選手団を派遣した。37選手が、スケート、スキーなど26種目に参加した。中国台北五輪委員会も、14選手を派遣した。これは、海峡両岸の五輪委員会が初めて一緒にオリンピックに参加したことになる。
今大会の組織運営は、各国に高い評価を受けた。IOC・国際オリンピック組織委員会のサマランチ会長は、閉幕式で、「サラエボ大会は、60年間の冬季五輪の歴史上で、最も素晴らしい大会だ」と述べた。
サラエボ大会組織委員会は、夏季のロサンゼルス大会と一緒に「友誼記念章」を発行した。これは、五輪史上初めてのことである。
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