1986年10月17日、IOC・国際オリンピック組織委員会は、ローザンヌでの第91回総会で、投票で第16回冬季オリンピックの主催地をフランスのアルベールに決めた。
アルベールビルは、フランスの南東部にあり、アルプス山脈の山間の町である。
大会スポンサーは、IOC及び大会組織委員会と58項目の契約を結んだ。また、8647人のボランティアが大会運営に携わった。この民間の大きな協力が大会を成功に導いたといえる。
今大会では、クロスカントリー男子10キロ、ショートトラック男子1000Mなどが新設され、7競技57種目と競技数が拡大された。種目設置において、画期的な大会とされている。
64の国や地域から1801人(男性が1313、女性が488)が大会に参加した。アルジェリア、ブラジル、ホンジュラス、アイルランドなどの9つの国と地域が冬季大会初出場。また旧東・西ドイツの五輪委員会が合併して、一つのチームとして大会に参加。ユーゴスラビアから独立したクロアチア、スロヴェニアが単独で選手団を出した。旧ソ連に所属していたエストニア、ラトビア、リトアニアがそれぞれ単独チームとして出場したが、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、ウズベキスタンの5ヶ国が、「ロシア連合」として大会に参加した。開幕式では、合同で入場行進し、「五輪旗」を国旗に代わりに使った。
聖火は空路でフランスのパリに運ばれた。そして、そこから5000キロメートルにわたり、60都市を経由して、リレーされた。フランスを代表する往年のサッカー選手、ミッシェル・プラティニと地元の児童が一緒に、最終ランナーを務めた。開幕式で、IOC・国際オリンピック委員会のサマランチ会長がスピーチをし、ミッテラン仏大統領が、開幕を宣言した。
今大会で、アジア全体では、歴史的な好成績を収めた。中国、韓国、日本、朝鮮はで合わせて、金メダル3個、銀メダル6個、銅メダル6個を獲得した。
中国は、選手34人による選手団を派遣した。中でも、葉喬波がスピードスケートの500M、1000Mで2個の銀メダルを獲得したのを始め、銀メダル3個、4位にも2度入った。1980年、セントルイス大会に初出場して4大会目にして、初のメダル獲得となる。
中国・台北は、選手8人を出して、スキー、ボブスレーなどの5種目に参加した。
アルベールビルは、総人口1万8千人の小さな町で、試合会場も散らばっていたが、組織委員会の的確な運営で、大会が順調に終わった。国際五輪委員会のサマランチ会長は、大会運営を高く評価した。(翻訳:李軼豪)
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