ウィンタースポーツの発展、そして冬季オリンピックの知名度が向上するに従い、冬季五輪開催を目指す都市も増えてきた。だから、オリンピックの開催権獲得は、国にとっての大きな誇りにもなった。しかし、デンバー(米)はその唯一の例外といってよい。
1976年、第12回冬季オリンピックに立候補したデンバーは、他の都市を抑えて開催権を獲得。ところが、市民からは予想外の反応が生まれた。オリンピック開催に反対する市民が続出。デモが起きるほどの大運動となってしまった。そのため、市政府は開催をあきらめざるを得なくなった。それが明らかとなり、インスブルック(オーストリア)、タンペレ(フィンランド)、シャモニー(仏)、レーク・プラシッド(米)が即時に代替地に立候補。その中で、インスブルックはかつて、第9回大会を開催した経験があり、組織面での完成度で、IOCによい印象を与えていた。IOCが検討した結果、インスブルックが開催地に決定。2度目の冬季オリンピック開催を決めた。
初出場のアンドラ、サンマリノを含め37の国と地域から1123人(女子が231人)が参加。また中国は、台湾が18人の男子選手を派遣した。アイスダンスと男子1000メートルスピードスケートなどが新設され、競技数は6競技37種目に増えた。
今大会は、旧ソ連が13個の金メダルを獲得して、再びメダルランキングトップとなり、旧東ドイツも復活して2位。アメリカとノルウェーが、それぞれ3位と4位だった。
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