1968年の第10回冬季大会に立候補したのは、カナダのカルガリー、アメリカのレークプラシッド、日本の札幌、ノルウェーのオスロ、そしてフランスのグルノーブルの6つの都市だった。投票の結果、グルノーブルが開催権を手に入れた。
グルノーブルは、フランス南東部の古い都市で、古代ギリシア・ローマ時代からよく知られていた。アルプス山脈の麓にあり、交通にも便利で、観光とウィンタースポーツに力を入れている。
大会組織委員会は、『効果が最大、かつもっと優れた組織による大会』とのスローガンを掲げ、招致成功早々から、準備に取り組み始めた。そして、1年と4ヶ月あまりかけて1万2千人収容のアイスリンクと選手村を建設した。
大会は、1968年2月6日から18日まで行われた。開幕式が盛大に行なわれ、世界各地からの7万人が出席した。組織側は、ヘリコプターを動員して、3万枚のバラの花を会場に降らせた。鮮やかな色のバラが、真っ白な雪の上に落ち、その美しさに観客は魅せられた。バラはグルノーブルの花である。三つのバラは、グルノーブルのシーティーシンボルで、「工業」、「文化教育」、「観光・ウィンタースポーツ」という町の三つの特徴を象徴している。
37の国と地域から1158人(女子が211人)が大会に参加。モロッコが初めて冬季大会に出場。西ドイツ、東ドイツが、『ドイツ連合』として1956年、1960年、1964年の大会に出場した後、今回は、独立に代表を出した。
国別メダルランキングは復活の兆しを見せていた冬季スポーツの王者、ノルウェーが35種目中、金メダル6個を獲得し、トップに返り咲いた。1956年の初出場からトップを守っていた旧ソ連は、スキーとスケートで期待通りのメダル獲得ならず、2位に甘んじた。イタリアが、史上最高成績を収め、金メダル4個を獲得、フランスに次いで第4位だった。
この大会前、一部のスキー選手が、ユニフォームにスポンサーの広告を付けた。IOCが、これを規則違反として、選手の出場資格を取り消すという事件があった。
全世界の5億人がテレビ中継を通じて、大会を楽しんだ。
この大会で、初めて女子選手に対して、性別検査を行った。
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