第27回シドニーオリンピック大会は、2000年9月15日から10月1日まで、オーストラリアの南部港の都市、シドニーで行われました。
シドニー(豪州)、北京(中国)などの30あまりの都市がミレニアムのオリンピック盛会を主催する意思を表明したが、最終的にはシドニー、北京、ベルリン(ドイツ)、イスタンブール(トルコ)、マンチェスター(イギリス)が候補地になった。1993年9月23日、投票の最終段階で、北京は、わずか2票の差でシドニーに敗北、初めてのオリンピック誘致は無念に終わった。
シドニー大会では、テコンドーなどが始めて正式種目になり、女子種目の重量あげ、現代5種が新設され、合わせて27競技の300種目が設けられた。199の国と地域の10651人(女子4069人)が大会に参加。ボイコットした国はなく、IOCのメンバー国全てが選手を派遣した。東ティモールの選手4人が個人として、大会初登場。報道では、16033人の記者(新聞・雑誌記者が5298人、放送記者が10735人)が携わり、また、46967人のボランティアが大会運営の中核として活躍した。
大会期間中、670万枚のチケットが発売され、入場率が87%に達した。また、220の国と地域の観客は、衛星中継を通じて、試合をを見ていた。さらに、インターネットは、大会の宣伝の大いに活躍した。例えば、大会オフィシャルホームページだけでも、延べ100億回以上クリックされた。
中国は、311人の選手を派遣して、28個の金メダル、総数では59個を獲得、どちらもアメリカとロシアの2強に次いで、第3位にランクされた。
水泳の高飛び込みでは、大きな期待がされた中国代表は、最初の3種目で意外にも金メダルを逃してしまった。そして、中国チームは、直ちに調整した結果、後は金メダル5個を総なめにした。
卓球の4種目のうち、女子シングルス、女子ダブルス、男子ダブルスの3種目の決勝戦では、中国同士の間に行われた。唯一の外国人との対戦、男子シングルスでは、孔令輝はワルドナー(スウェーデン)に辛勝し、中国は前回に続き金メダルを総なめ、『卓球王国』の名を守った。
もう一つ、中国の得意種目、バトミントンで、男子ダブルスを除き、男子、女子シングルス、女子ダブルス、混合ミックスで4個の金メダルを獲得。
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