第24回オリンピック大会は、1988年9月17日から10月2日まで韓国のソウルで行われました。誘致に動いたのは、ソウルのほかに、日本の名古屋、オーストラリアのメルボルン、ギリシアのアテネだった。1981年の第84回IOC・国際オリンピック総会で、ソウルが選ばれ、アジアで東京に続いてオリンピック大会を主催する2番目の都市になっている。
韓国は、国のイメージと国際地位をアップを目指して、1973年に『平和統一』という外交政策を提唱した。その一環として、体育文化外交に積極的に力を入れた。政府の強力的な支持で、韓国は、1986年のアジア大会、1988年の五輪大会の主催権を得た。
ソウル大会は、1981年11月1日に、組織委員会を発足させ、建築、芸術、マスメディアなどの人材を集めて、オリンピック開催の準備作業に取り組んだ。財政の圧力を背負いながら、9億ドルを投入した。その55%は、大会場、選手村、記者宿泊地、プレスセンターなどに使われ、他の45%は、オリンピック公園の建設、医療サービスの向上、市街の改善に投入された。
ソウル大会で、25競技の237種目が設けられた。卓球の試合が、ソウル大会でデビュー。テニスも64年ぶりに復活した。それに、テニスとサッカーで、プロ選手の出場が許されるようになった。ただし、サッカー選手の年齢は、23歳以下に抑えられた。
159の国と地域の8465人選手(女子が2186人)が競技に参加した。ブルネイ、モルジブなど8ヶ国が初出場。選手数はアメリカの612人を筆頭に、旧ソ連の524人、韓国の467人と続いた。11331人の記者が大会の報道に参加した。また、27221人のボランティアが大会の接待やサービスに携わった。
この大会で、大会記録が64個更新され、22個の世界記録が誕生した。国別では旧ソ連が、金55個、銀31個、銅46個で総メダル数1位に躍り出た。続く東ドイツは金37個、銀35個、銅30個で2位。アメリカは3位、開催国の韓国が4位にランクされた。
中国は、301人の選手を出したが、金5個、銀11個、銅12個を獲得し、メダルランキングでは第11位だった。
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