第22回五輪大会の誘致に動いたのは、モスクワ(旧ソ連)とロサンゼルス(アメリカ)2都市しかなかった。1974年の第75回IOC・国際五輪組織委員会の総会で、1980年第22回大会の開催地をモスクワと決めた。
旧ソ連の首都のモスクワは、800年の歴史を持ち、旧ソ連の政治、経済、文化の中心地。モスクワ五輪組織委員会は、90億ドルを投入して、大会施設を新築し、市街の建設、交通の改善に力を入れた。
1979年、旧ソ連は、アフガニスタンに出兵した。平和・友好をテーマに揚げるオリンピック開催国が侵略行為を行ったことについて、世界の人々とマスコミの非難を招いた。多くの国は、アフガニスタンへの出兵が国際法を踏みにじったものであるとして、大会をボイコットする表明を発表した。そのため、今大会は、IOC加盟147ヶ国・地域のうち、80ヶ国・地域が参加するに留まった。また、そのうち、16の国が抗議を表す意味で、開幕式や表彰式の際に、国旗を使わず、オリンピック旗を揚げた。前回の開催国カナダもボイコットしたため、モントリオール市長は出席せず、代理を出して、大会旗の返還を行った。
参加選手の数は5217人(女子1124人)。ちなみにマスコミの記者数は5615人だったから、それよりも少なかったことになる。国別では、開催国旧ソ連の534人を筆頭に、ついで東ドイツが378人、そしてポーランドが340人。
旧ソ連が初めてオリンピックに出場したのは第15回ヘルシンキ大会。そのときの開催期間は、7月19日から8月3日までだった。そこで、第22回モスクワ大会の開催時期も同じく7月19日から8月3日として、それを記念した。2つの大会の開催期間が全く同一となったのは、これが唯一だ。
多くの国がボイコットしたため、大会にも大きな影響をもたらされた。しかし、記録の上からいえば、今大会は比較的に高いレベルにあったといえる。世界記録が33個出た。
開催国旧ソ連は、金80個、銀69個、銅46個で、メダル総数トップ。金80個という数は、オリンピック史上、一つの国が獲得した数としては最多。東ドイツは、金47個、銀37個、銅42個で第2位。ブルガリアは、金8個、銀16個、銅17個で、初めてトップ3に入った。
中国は、この時点で、ずでにIOCへの復帰を果たしていた。だが、オリンピック精神を尊重し、旧ソ連の侵略行為を非難するため、モスクワ大会をボイコット。長年の念願であるオリンピックへの復帰は次回に持ち越された。
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