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北京胡同の「門墩(モンドン)」に惹かれて20年――岩本公夫さんに聞く(上)

2016-03-15 20:07:47     cri    


  中国では都市開発が進むにつれ、消えていったものがたくさんあります。「門墩(モンドン)」という伝統的家屋の扉に使われる石材もその1つです。

 「門墩(モンドン)」とは、伝統的家屋、特に四合院の表門の脇に置かれ門扉を支える、石材でできた支柱です。伝統的な吉祥模様が彫られ、四合院の住人の地位や、好み、願望をも表しています。この中国の「モンドン」に惚れ込み、20年余りにわたって、調査と研究を行い続けてきた日本人がいます。現在、大阪府高槻市にお住まい、今年79歳になる岩本公夫さんです。

 1994年、57歳の岩本さんは定年まで残り3年の時に、妻と共に決断をしました。忙しい仕事で疲れきった体を休ませ、仕事をやめて、自分のしたいことをやり、のんびり暮らす。

 「年金がもらえるまで後3年。どこか生活コストが安い所はないかと思っていたところ、妻がたまたまテレビで目にしたのが中国を紹介する番組でした。そこで、よしゃっ!中国へ行こう」と北京留学のきっかけを淡々と振り返ります。

 向かったのは北京語言大学。中国語の入門クラスで1年ほど勉強した後、芸術学部に転入して書も学ぼうという計画でした。ところが、ある日訪れた北京の旧市街地「国子監」で、取り壊し工事現場で誰からも相手にされない石の飾り物が転がっていることに気づきました。門墩(モンドン)との最初の出会いでした。

 「1つ1つのモンドンは、かつての主の生き方の物語がしっかり根付いているはずなのに。いざ都市開発が進み、取り壊しが始まると、廃棄物のようにその存在すら気づいてくれない。現場の方に、これは貴重な文化財だから、しっかり保管しておいたほうが良いよと話しましたが、『今は保護しなければならないものがたくさんあるので、とてもモンドンまで手がまわらない。そんな余裕はない』という回答でした。そこで思い出したのは、日本人が和服につけていた根付けのことです。日本人の衣装は着物から洋服に変わったことで、根付けもすっかり忘れ去られてしまいました。しかし西洋の人は、これは美しい工芸品だと言って、たくさん保管し、今では日本国内よりも素晴らしい作品は海外に多く収蔵されています。このままでは、モンドンもやがて根付けと同じ運命をたどるだろう。外国人がその貴重さを訴えたほうが良いかなと思って行動を始めました」

 そこで思いついたのは、まずは現状の調査です。写真を撮り、保存状況を記録する。それ以降、岩本さんは時間があれば、胡同をめぐるようになりました。そして、取り壊しの現場に遺棄され、「持って帰っても良いよ」と許可をもらったモンドンを、岩本さんはせっせと大学まで運びました。

 あまりの熱意に、担当の先生も心打たれ、調査のヒントをくれたり、「授業の出席を気にせず、どうぞあなたのやりたいことに専念してください」と理解を示してくれました。

 北京語言大学は北京の北西部にあり、胡同の多い市街地までは十数キロも離れています。そこで考えたのは、地下鉄+自転車による移動でした。まずは最寄の駅まで地下鉄で向かう。駅を出たところの駐輪場に、事前に買っておいた自転車を駐輪しておき、それに乗って胡同を回りました。異なった駅の出口に3台の自転車を停め、調査の足にしました。

 こうして2年半の調査を経て、北京のモンドン6203組が記録されました。1998年、その調査に基づいた資料集が『北京門墩』というタイトルで、北京語言文化大学出版社から出版されました。

 「今までのモンドン研究書の中で、最も綿密に北京のモンドンを記録したのが岩本さんの本です」

 モンドンに興味がある中国の若者がインターネットに残した書き込みです。

 調査のもう1つの成果は、大学にできた「枕石園」です。岩本さんがせっせと運んできたモンドンに、大学側はそれを専門に陳列する花園を整備し、「沈石園」とつけました。

 今回は昨年末、母校の「Return to China」プロジェクトの招聘で、久しぶりに北京に戻ってきた岩本さんに、この沈石園でインタビューしました。

 ところで、「モンドンの形が四角いか丸いかで、文官の家か武官の家は判断できる」というのが、現在の観光ガイドの定説です。実はこれ、岩本さんが仮説として提示したものです。これについて、「その仮説は後の調査により、事実ではないことが分かりましたが、気づいたらすっかり広まってしまいました」

 誤った説の広まりに対して、岩本さんはこれからどのような行動を起こしたいのか、詳しくは番組をお聞きください。

 【プロフィール】
 岩本公夫(いわもと・きみお)さん

 1937年  広島県福山市の古琴職人の長男として生まれる
 1960年  山口大学経済学部卒業後、マツダ株式会社の大阪販売会社に入社。
 1994年  定年まで残り3年。会社を辞めて、妻と中国留学を決意。
 1995-98年 北京語言大学や陝西師範大学に留学
 1998年  独自の調査に基づく報告書『北京門墩』を北京語言文化大学出版社から出版
 2008年  71歳でパソコンの使い方を学び始める
 現在はその後20年にわたって中国各地で行ってきた調査を土台にした『中国門墩』の出版を準備中

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