日中の伝統的な画法を取り入れて グローバルに活躍する天才画家
李さんは幼い頃から天才画家としてその名をとどろかせてきた。その活躍ぶりはまさにグローバル、各国のコンクールで受賞してきただけでなく、個展なども積極的に開催してきた。現在は八王子学園都市大学で市民講座の講師も務めているという。さっそく、李さんのこれまでの歩みと毎日の生活ぶりについて聞いてみた。
(り・えん) 桂林市生まれ。8歳で全国少年児童書道コンクールに入賞。国内外で開催された画展に絵画作品を出品、入賞多数。93年に来日し、99年多摩美術大学卒業。04年多摩美術大学大学院美術研究科博士後期課程修了後、多摩美術大学非常講師を務めた。現在は八王子学園都市大学で講師を務めている
取材は張国清北京放送東京支局長である。この取材内容は日本東方通信社の週間雑誌「コロンブス」2007年9月号に掲載されている。
周囲の支えのおかげで 日本で生活できた
張国清:子どもの頃から、たぐいまれな絵のセンスを持っていたそうですね。
李焱:私は桂林市生まれです。風光明媚なところで、家の近くには小さな山々が連なっていて、絵の素材に困りませんでした。父が絵画好きだったこともあって、3歳くらいの頃から絵を描きはじめたのです。本格的に絵の勉強をはじめたのは5歳くらいだったと思います。それからというもの、毎日のように絵を描いていました。とくに、馬のような動物の絵を好んで描いていました。それから8歳のときに、初めてコンクールで受賞し、9歳のときに国際絵画展で最優秀賞をいただきました。その頃からちょうど個展を開催するようにもなったのです。87年には弟とふたりで米国スタンフォード大学に招かれたこともありました。
張:日本にはどのようなキッカケでくることになったのですか。
李:もともと海外に行きたいという気持ちはありました。というのは、ちょうど当時、中国で絵を描きつづけていて「どうして絵を描いているんだろう」といった疑問にぶつかったからです。そうこうしているうちに、一から絵と向き合ってみたいという思いが強くなってきたのです。そこで、当初はアメリカに行こうと考えていました。そんなとき、ちょうどふたりの日本人から日本で絵の勉強をしてみないかと誘われたのです。ふたりとも以前に桂林で、私の絵を見て気に入ってくれた人でした。そうした後押しもあって、私は日本に留学する決意をしたのです。
張:日本に来て、苦労はありましたか。
李:来日してすぐに印象派展を見に行ったのですが、そこで見たモネの絵に衝撃を受けました。帰り道、思わずデパートで画材を買ってしまったのです。おかげで、生活費にも困りはて、友人のところに転がり込んでしまいました。あのときは焦りましたね。苦労したのは、やはり日本語の勉強です。日本語学校に入学したのですが、想像以上でした。それに、私は時間さえあれば、絵を描きたいと思っていたので、なかなか日本語の勉強に取り組むことができなかったのです。とはいえ、先生はみんないい人ばかりでした。授業中に先生の顔を描いていたことがあったのですが、誰ひとり目くじらをたてるような人はいませんでした。ティッシュや紙切れに描いた絵を先生にあげたことがあったのですが、その先生は今でもその絵を大切に持ってくれているといっていました。このように優しい先生たちがいてくれたおかげで、どうにか日本語を習得することができたのだと思います。
張:これまでの生活を通して、日本にどのような印象を持っていますか。
李:私は日本人の繊細な性格や何事にも一生懸命取り組む姿勢が大好きです。また、日本の古民家や民具などにも興味があります。富山県の白川郷に泊まったことがあるのですが、何ともいえない温もりを感じました。 絵を描くことで 日中交流に貢献したい
張:ところで、李さんの絵には水墨画と油絵を融合したような、独特なフン囲気がありますね。
李:その通りです。中国にいた頃は水墨画ばかりを描いていたので、私は多摩美術大学で初めて油絵を学んだのです。この油絵を勉強したことで、あらためて水墨画の美しさを認識することもできたと思います。ここ数年で、ようやく自分らしい絵が描けるようになってきたと感じています。
張:李さんにとって、絵とはどのようなものなのですか。
李:自分を映し出す鏡のようなものだと思います。寂しさ、楽しさ、悲しさ、嬉しさ、そういった気持ちが渾然一体となって、1枚の絵は完成するのです。ですから、絵の本質はうまさではなく、自分らしさが出ているかどうかだと思うのです。日本にきて、私は自分を客観的に見つめ直すことができました。だから、今は自分らしい絵を描けるようになったのです。 ちなみに、私は平和や穏やかな気持ちを大切にしています。というのは、そういう環境でなければ、自分らしい絵を描くことはできないからです。そういう意味でも、日本は比較的恵まれた環境にあると思います。とくに、私の学校がある多摩地区には、自然もたくさんありますからね。
張:画家にとって大切なことはどのようなことですか。
李:画家はつねに自分の感性に反応する何かを探さなければなりません。そして、自分自身に挑戦する勇気を持たなければなりません。よほど絵を描くことが好きでないかぎり、きわめて険しい世界だと思います。
張:現在、李さんは多摩にある八王子学園都市大学で、絵の先生をしているそうですね。
李:そうです。若い人からお年寄りまで、幅広い層の方たちが絵を学びにきています。
張:絵を教えていて、良かったと感じたことはありますか。
李:生徒のなかに70代の女性がいました。彼女はガンをわずらっていたのですが、絵を描くことでいつの間にか気力が充実し、ガンを克服することができたといっていました。そして「絵のおかげだ」といって喜んでくれました。その様子を見て、絵を描くことの素晴らしさを実感しました。これからも私が学んできたことを少しでも多くの人に伝えていきたいと思います。また、私はこれまで、中国と日本でたくさんの人たちに支えられてきました。ですから、恩返しの気持ちも込めて、絵を通じて少しでも日中友好に貢献したいと思います。
張:素晴らしい心がけですね。これからも美しい絵で多くの人の心を癒してください。本日はありがとうございました。
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