
人生をハッピーにする、「五道」の思想を実践!!
魏 来(東京中国書書院院長)
芸術家、大学教授、ビジネスマンとさまざまな顔を持つ魏来氏は、ただイロイロなことに手をつけているわけではない。「五道」という道を追求した結果、多方面で実績を残すまでになったのである。苦難の末に見出した成功の秘ミツに迫ってみた。
魏 来(ぎ・らい ウェイ・ライ):1949年江西省南昌市生まれ。1981年江西大学国文学科卒業。87年に来日、拓殖大学で1年間学んだ後、88年東京学芸大学に入学、93年修士課程修了、書道教育修士を取得。現在、日本株式不動産研究会会長、東京中国書書院院長、国際名人雑誌社社長、日本関西華文時報編集長、南昌大学、西北大学、江西大学客員教授などを務める。号は五道
聞き手:張国清北京放送東京支局長。この取材内容は日本東方通信社の編纂による週間雑誌「コロンブス」2007年5月号に掲載されています。
日本留学と「五道」への目覚め
張:魏さんは、書道家としても実業家としても成功されていますが、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったと思います。
魏:たしかにいろんなことを経験してきました。私は1949年に江西省南昌市で生まれました。父は著名な書道家でした。その影響で私も5歳から書を習いましたが、幼少時に他界してしまいました。
私は77年に江西大学国文科に入り、卒業後は江西中医学院で教師として就職しました。と同時に、ここで漢方医学の基本を1年間勉強する機会に恵まれました。漢方を学べたことは貴重な体験で、おかげで人の顔を見れば体のどの部分が弱っているのかを把握できるようになりました。ここでは2年ほど働いて退職し、その後は、絵や書を書いて糧にしながら、深セン大学芸術センターに教師として就職することができました。
ある日、日本の自動車会社のセレモニーで書道の即席披露をしているときに、そこの社長さんに気に入られ、日本留学のチャンスをいただいたのです。彼が保証人になり、拓殖大学に入学できました。87年のことです。
張:日本での生活は苦労の連続ではありませんでしたか。
魏:それはそれは大変でした。まず日本語がわかりません。それと保証人の社長のおかげで大学から奨学金をもらっていたのですが、それだけでは生活できないので、さまざまなアルバイトをしました。デパートで荷物の搬入・搬出作業、引越し、道路整備員など20~30種類を経験しました。とはいえ、1日中働いても、日給はだいたい1万円くらいでした。教職に就いていた中国での暮らしと比べると「落ちぶれた」感じがしました。それでも拓殖大学で1年間学んだあと、なんとか東京学芸大学大学院に入学することができました。そして5年かかって修士課程を修了することができたのです。
張:実業を心ざしたのはいつですか。
魏:私はずっとアルバイトで貧しい生活していましたので、お金持ちになりたいと願っていました。そのために億万長者の著作を読み漁りました。その結果、ふたつのことを発見しました。それは億万長者の多くは株と不動産に投資していること。それと人の幸せのために自分の幸せを分けてあげられる「いい人」であるということです。相手の幸せを考えないと自分も幸せにはなれませんから。「人心を得る者は天下を得る」ということわざの通りだということに気付きました。
張:すごいですね。まさに悟りの境地といった感じですね。
魏:さらに人生を豊かなものにするには、「五道」が重要だということに気付きました。すなわち「学問の道」、「芸術の道」、「養生の道」、「人を成す道」、「富の道」の五道です。
私の父は著名な書道家でしたが、健康管理ができなかったため59歳の若さで病死しました。どんなに金持ちでも人心が得られなければ恨みをかって破産します。つまり、「五道」のひとつでも欠けるとダメなのです。こうした考えに目覚めてからさまざまなことに挑戦し、実績を残すことができるようになりました。
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