"徽商マインド"で中日の美術交流を促進
中国の長い歴史は数多くの貴重な文化遺産を残してきた。ところが、その相当数が他国に流出してしまっているという。そこで昨年、中国では海外文物回帰保護基金を設立。その日本代表を務めている陳建中氏に、そういったあたりを含め日中の文化交流の意義について話してもらった。
陳建中(ちん・けんちゅう)1956年中国安徽省生まれ。91年に来日し、97年に城西大学経営学部を卒業。98年に創業し、02年に黄山美術社を設立、社長に就任した。06年に中国人民対外友好協会・中国和平友好発展基金から「和平発展貢献賞」を受賞した。また、日本国際徽商協会の副会長を務めている
取材は張国清北京放送東京支局長である。この取材内容は日本東方通信社の週間雑誌「コロンブス」2007年6月号に掲載されている。
展示会を通じて 日中の文化交流をはかる
張国清: 北京放送東京支局長 陳さんは何年に来日したのですか。
陳建中: 黄山美術社社長 来日したのは91年のことです。私はもともと中国・安徽省で市の宣伝部新聞課に務めていました。写真が好きだったこともあって、報道用に地元の農民の生活風景などをよく撮影していました。ときには、安徽省の貧しさを訴えるために、撮影した写真を中央政府に持ち込むこともありました。
張: 来日したキッカケについてお聞かせください。
陳: 中国で知り合った日本の大学の先生にすすめられ、日本への留学を決意したのです。そして、城西大学に入学したのです。そのときは卒業したら、帰国する予定でした。しかし、結局は帰国せずに、アルバイトで美術品などの展示を行う仕事をはじめたのです。それまで私は美術に無縁だったのですが、仕事をしていくうちに「中国の文化を宣伝するために仕事をしたい」という気持ちが強くなってきました。それからというもの、一生懸命に中国文化の勉強をはじめたのです。そして、日本で(株)黄山美術社(東京都江戸川区)を設立し、自分の手で展覧会の企画などを行うようになったのです。
張: 日本の生活で苦しかったことはありましたか。
陳: 当初はアルバイトを掛け持ちするなど、苦しい生活だったと思います。とはいえ、中国に帰りたいと思ったことは一度もありませんでした。とにかく一生懸命に頑張ろうという思いでイッパイだったのです。おかげで、苦労したアルバイトでの経験は、今のビジネスにも大きく役立っていると思います。
張: 黄山美術社では、どのようなビジネスを行っているのですか。
陳: 来年の3月から、三国志をテーマにした新しいタイプの展示会を、東京富士美術館(東京都八王子市)に協力してもらって開催します。今も中国と日本を往き来して、三国志の史跡などを訪ねて、資料を収集しているところです。とはいえ、三国志は歴史的な資料が少なく、再現するのがむずかしいのです。ですから、小説の「三国志演義」でイメージを膨らませて、アレコレと準備しています。そのほか、3D画像などで三国志の物語を再現したりする予定です。このような手法の展示会は今回が初めてです。成功すれば、中国の文物展示会のスタイルは変わってくるかもしれません。
張: 展示会の仕事を通じて感じたことはありますか。
陳: 日本各地で展示会を開催してきましたが、日本の皆さんは中国の文化をよく理解してくれているように思います。やはり、中国と日本は文化的に近いものを持っているからだと思います。だからこそ、経済や政治で摩擦が生じても、文化を通して心と心を通わせることができると思います。
|