国際結婚からファッション、旅行まで 女性写真家が日中間のギャップに挑む!!
フォトジャーナリストの于前さんは、17年間にわたって日本と中国の写真を撮りつづけてきた。そして日本と中国のマスコミに写真や記事を送っているだけでなく、国際結婚をテーマにした本も出版しているという。さっそく、そんな于さんの活躍ぶりにアプローチしてみた。
于 前(う・ぜん ) 中国北京生まれ。89年来日。97年「アサヒグラフ」に「Couples」を連載。2000年「チャイニーズ・レンズ」(竹内書店新社)を出版。「亜細亜週刊」東京特派員。現在、朝日新聞サイト「asahi.com 」(http://www.asahi.com/)で「漫歩寄語」を連載中
取材は張国清北京放送東京支局長である。この取材内容は日本東方通信社の週間雑誌「コロンブス」2007年7月号に掲載されている。
国際結婚の取材を通じて 日本を知ることができた
張国清: 北京放送東京支局長 来日したのはいつですか。
于 前: 亞洲週刊駐日特派員(フォトジャーナリスト) 私は写真の勉強をするために、89年10月に来日しました。当時の中国には写真科のある大学がなかったからです。そして、来日してから1年3カ月くらい、日本語学校に通った後に、東京工芸大学の写真科に入学しました。
張: 現在、于さんはフォトジャーナリストとして活躍していますが、初めから、マスコミで働きたいという気持ちがあったのですか。
于: 最初はマスコミ志望ではなく、広告に携わりたいと思っていました。これからは、中国でも広告写真がゼッタイに伸びてくると感じていたのです。中国に写真を教える大学ができたら、帰国して教員になろうと思っていたほどです。
張: 日本で生活してみて、どのようなことを感じましたか。
于: 日中間の理解不足を感じました。というのは、私が中国人ということで、変な目で見られることが多かったからです。大学でもアルバイト先でも、何かとヘンな質問をされました。たとえば「あなた、お箸使えるの」といったことを質問されるわけです。
また、国際結婚についても考えさせられました。留学期間が終わりに近づくと、多くの留学仲間たちがつぎつぎに日本人と結婚しはじめました。私は、みんながどうして国際結婚を選んだか、知りたいと思うようになりました。
張: 大学の学費や生活費は、自分で稼いでいたのですか。
于: もちろんです。日本の大学の学費は中国よりも高いので、一生懸命アルバイトに励みました。昼は大学で勉強、夜はアルバイトという毎日でした。寿司屋、西洋料理店、中華料理店など、飲食店を中心に働きました。ですが、ムリをしすぎたのか、卒業式の日にA型肝炎で倒れてしまったのです。ゼッタイに入院したくなかったのですが、病院の先生から1時間かけて説得されて、入院することにしました。おかげで、病院で多くの日本人と知り合いになることができたし、病気も治すことができました。入院を勧めてくれた先生のおかげです。ちなみに、あとで聞いたのですが、その先生は台湾人と日本人のハーフだったのです。それを機に、今まで疑問を感じていた国際結婚に、目を向けてみようと思うようになりました。そして、ふたたび国際結婚した仲間たちのことが気になりはじめ、国際結婚をしている家族の写真を撮ることにしたのです。フツーは夫婦生活について語る人はあまりいませんが「写真を撮らせてください」とカメラを持っていくと、たくさん話を聞かせてもらうことができます。いろんな国の人たちと友だちになれましたし、彼らを通じて日本のことをさらに知ることができたように思います。
張: そのときに撮影した写真が『アサヒグラフ』に連載されたのですね。
于: そうです。当初は写真だけを掲載する予定だったのですが、担当の編集者と話していくうちに、文章も掲載することになりました。被写体である家族のことはもちろん、自分自身の体験や実感もたくさん盛り込みました。国際結婚観、大学生活のこと、入院したときのことなど、いろんなことを書きました。連載は1年半にわたってつづき、最終的には『チャイニーズ・レンズ』(竹内書店新社)というタイトルで単行本にもなりました。
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