フォトジャーナリズムで 日中の情報交流を促進したい
張: 国際結婚のほかには、どのようなテーマの写真を撮ってきたのですか。
于: たとえば、94年頃は映画の撮影現場で働きました。俳優に中国語を教えながら、彼らの写真を雑誌社に送るといった仕事をしていたのです。そのときは、台湾と香港の雑誌社の仕事でしたが、反応はとても良かったです。そのほかにも、ファッションや旅行などの写真を送ったりしてきました。また、日本では、朝日新聞のサイト『asahi.com』(http://www.asahi.com/)で、中国に関する写真と記事の連載をしています。
張: 多方面で日本のことを発信していますが、そのなかで大変だったことはありますか。 于: 自分が伝えたいことを伝えられないジレンマに陥ることがありました。当然ながら私が書いたものは、現地の編集者がチェックします。最初は芸能分野だけだったので、問題ありませんでしたが、社会や政治といった記事になると、チェックがきびしくなってくるのです。たとえば、どんなに今の日本を撮影しても、「着物」とか「富士山」のように、日本的なイメージが強いものが優先されてしまうわけです。私はもっと今の日本に目を向けてほしいのですが、なかなかむずかしいのが現状です。
張: 現在の中国にはどのような印象を持っていますか。
于: 私がいなかった17年間で、中国は大きく変わりました。とくにお金に対する価値観は変わったと思います。旧友に会いに行くと、ビックリするほど大きな家に住んでいたりするのです。
また、私はときどき、日本にも中国にも居場所がないと思うことがあります。たとえば、旅行の仕事で中国を取材したときに、思うように取材が進まなかったことがあります。私は中国人だから、ひとりですべて取材できると思っていたのですが、日本の出版社の中国人となると、現地でなかなか信用してもらえないのです。日本人と一緒に行くことで、ようやく信用してもらうことができましたが、やはり悲しい気持ちになりましたね。
張: ですが、日本で長年過ごしているからこそ、于さんならではの写真を撮ることができるのですね。
于: その通りです。というのは、日本でたくさんの素敵な日本人に出会うことができたからです。彼らのおかげで、私はカメラマンとして生計を立てることができるようになったのです。私は日本にとても感謝しています。外国人は日本で苦労しているというイメージがありますが、私は言葉もわからないまま日本にきて、アルバイトをしながら大学を卒業して、就職することもできました。これは、日本が外国人にとって暮らしやすい国であることの証だと思うのです。
張: これからも写真を通して、日中の架け橋として頑張ってください。本日はありがとうございました。 1 2
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