(財)日本オリンピック委員会選手強化コーチ
(社)日本武術太極拳連盟選手強化委員会ヘッドコーチ
東京武術太極拳クラブ 理事長 コーチ
新宿駅前の大極拳教室。扉を開くと、10人ほどの生徒たちが手にした剣でゆったりと弧を描いていた。生徒たちに心地よいリズムでかけ声をかけているのは、講師の孫健明さん。40代後半だと聞いていたが、凛とした眼差しが印象的で実年齢より若い。
孫健明さんは1959年、北京に生まれた。少年時代から中国武術を学び、74年からは北京武術チームに所属、プロの選手として活躍していた。その後アクション映画のブームが到来すると俳優に転身。主役を演じるようになるとギャラは跳ね上がり、脚本も自分で選べる。まさに順風満帆だった。
そんな頃、日本の東京太極拳協会が孫さんを中国武術の講師として招聘した。1986年、孫さんは映画の世界を捨て日本を選択。中国では厳しい武術の訓練のため軍隊のような生活を送っていたが、日本には"自由"があった。「とはいっても映画スターの座を捨てての来日に、後悔はありませんでしたか」ーー、そう問うと、「私は後悔していません」ときっぱり。
孫さんの心をつかんだのは、日本の子どもたちに中国武術を教える面白さだった。小学4年生の生徒にわずか半年間指導しただけで、なんと全国大会二位。これまで上位に食い込めずにいた東京太極拳協会のメンバーは大喜び。皆で抱き合って喜んだ。
だがジャッキー・チェン(成龍)に憧れてやって来る子どもたちを鍛え上げるのは容易なことではなかった。子どもを育て上げるのに全身全霊を傾ける"鬼コーチ"孫さんと、いとも簡単に通うのを止めてしまう子どもたち。苛立ちが募った。
12年にもわたり全国大会で優勝を重ねた愛弟子も幾度となく武術をやめ、その度に孫さんは説得を繰り返した。ある時その女子生徒は、「武術をやると筋肉がつくから嫌」と姿を消した。孫さんはもう引き止めなかった。ところが半年後、「やっぱり私には武術しかない」と戻ってきたのである。時は経ち、いま彼女は選手強化委員会のコーチとして後身を育成している。「孫先生のあの時の厳しさが今になって分かる」、そう言ってくれるのが何よりも嬉しい。
孫さんは今、高齢者にも太極拳を教えている。癌手術の後のリハビリとして太極拳を選ぶ人たちもいる。「さっきここで剣の太極拳をやっていた男性、いくつだと思います?88歳の高齢ですよ。太極拳で生き生き元気になってくるのを見ると、役に立っているのかなと思いますね」。
日本で中国武術を伝えて20年。孫健明さんは満たされた笑顔だった。(日中メディア協会・満永いずみ)
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