日本文化を中国語圏へ発信し続けて
七年前の風が爽やかなある夏の日、日本の大手繊維商社で働く一人の中国人留学生が小さな試みを始めた。それは、週末と休日を利用して全世界の華人に向けて日本の最新流行文化を紹介するメールマガジンの創刊であった。
そして七年後の今日、この「週刊東京流行通訊」という名の写真も文章も盛りだくさんのHTMLメールマガジンは、全世界各地に30万人以上の読者を持つ強力なメディアに成長した。日本最大の中国情報ポータルサイト「中国情報局」では、「このメールマガジンは中国でもよく知られており、これが契機となって、あるいは一つの要因にもなって、美容、コスメ、オーディションなどのブームが中国で沸き起こっている。」と分析している。
Google Analyticsで統計を取った「読者分布図」で世界各地に読者が存在するのを眺めながら、「週刊東京流行通訊」の編集長、姚遠(よう えん)はこれまでの長い道のりに思いを馳せていた。
「人生は常に順風満帆ではない」
日本の流行が瞬時に変化する様相を把握し、華やかさに目を奪われる日本の流行の実態を全面的に伝えるために、姚遠は毎日休息時間を犠牲にして書店や図書館に通い、大量の資料を調べ、広く情報を集め、週末はパソコンに一日中張り付いて編集と配信を行なった。そしてファッション、家電、観光、車、出版、芸能、ゲーム、世相の8つの分野に分けて、集めた情報を丁寧に編集した読みやすくわかりやすいこのメールマガジンは、最新で最速の方法によって日本の流行情報を読者の手に届けたのである。
初めは中国、香港、台湾のメルマガ配信サイトを通じて発信していたが、読者の反響が非常によかったため、無料購読の形で自主配信するようになった。選ぶテーマの斬新さと独特の視点によって、この個人が始めたメールマガジンは常に「クールなメルマガ」と評価されるとともに、台湾最大の移動通信企業「大衆電信」やSONY台湾に注目され、国際電話や来日によるインタビューを受けたり、日本の流行情報の中国語化業務について協議し合ったりした。
さらに、自分のやりたいことに全力を尽くすため、姚遠はみなが羨ましがるような安定した会社から決然と退職し、もっと多くの時間と情熱をメルマガの編集と発行に費やすようになった。全世界の華人読者たちからメールが届き、ますます充実して生き生きした内容を大いに褒め称えてくれたが、編集者の方はメルマガのためにたいへんな労力を費やし、マクドナルドで夜のアルバイトをせざるを得ないような状況にあった。だが、それでもメルマガの編集と発信は決してやめなかった。また、日中関係の不安定さがこの小さなメルマガにも影響を与える時があったが、それでも姚遠の、日本の「真、善、美」を伝えようという固い信念は揺らぐことがなかった。
「この小さな仕事に全力を尽くそう」
誠実に努力をすれば、道は必ず開ける。姚遠が出世や利益をかえりみないで黙々と続けた仕事は、家族の理解を得たばかりでなく、見識を持った日本人の支持までも得ることになった。二年前、翻訳会社アラヤ株式会社の中嶌重富社長の強力なサポートを受けて、この小さなメルマガは「週刊東京流行通訊」という名の新しい顔で、全世界の読者の前に改めて登場することになったのだ。
世界中の中国語圏の読者に日本の文化を真に理解してもらい、日本について心から味わい、日本を好きになってもらうために、綿密な編集方針と発行計画が定められた。アラヤ株式会社の日本人の同僚たちもこの独特なメディアに積極的に関心を持ち、様々な情報源を投稿したり提供したりしてくれた。
現在、「週刊東京流行通訊」は中国語簡体字版、繁体字版だけでなく、日本語版も発行されている。読者は全世界の華人から、世界各地の日本人へ、さらに会社の顧客(日本の大手家電メーカーなど)にまで広がった。またこのメルマガは、国際交流基金などの、日中文化交流事業に積極的に取り組む機関や部門からも大きな賛辞を受けている。
七年の春秋がめぐり、辛いことにも幾度となく遭遇した。今、あちこちから賛辞や喝采の声が聞かれるが、姚遠はかつての苦しかった時期と同じように冷静な気持ちで受け止めている。「誰でも人生には限りがあります。どんな生き方が意義のある人生かは、すべて自分で決めることです。私にとっては、この小さな仕事を全力で成し遂げることが何よりも大切なのです。」(吉川良樹)
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