三つ子のママはベストセラー作家
北京生まれ。1992年自費留学生として来日。2000年自らの在日生活を描いた「東瀛告白」(中国青年出版社)が中国でベストセラーに。日本でも3人の子育てと仕事の両立を描いた「どんなにも弱くとも神様に選ばれたんだ」(冬青社)が昨年出版されるなど、人気作家として活躍している。
■「三つ子の子育てに仕事、学業までこなすパワフルな女性。さぞかし逞しい女性に違いない」??、そう思って会いに行った王翔浅さんは、拍子抜けするほど色白でほっそりとしていた。きれいな北京語をゆっくり話す様子からは、深窓の令嬢のような雰囲気さえ漂っている。
■王翔浅さんが日本と縁を持つことになったきっかけは大学2年生の時だった。ある日、北京で開かれていた 日本語講座を受講していた王さんはクラスで1人おかしな発音をする男性に吹き出してしまう。男性は自分を笑った主を怒った顔で探し、それがきっかけで二人は恋に落ちた。
■1992年、王翔浅さんはそれまで勤めていた北京人民芸術劇院の助監督の職を捨て来日した。先に日本に渡った恋人を追っての来日だった。学業やアルバイトに奔走する中、97年に三つ子を出産。男の子たちはそれぞれ「早安」、「午安」、「晩安」と名づけられた。日本人なら男の子3人同時に生まれたら母親は当然のように専業主婦になるところだろう。ところがそうはならないのが中国の「女強人」だ。
■出産後間もなくすると、保育園に子どもたちに預け東京学芸大学の大学院に復学。演劇学を修めた。卒業するとアジアの子どもたちに中国語を教える教材を開発する会社に就職。だが自宅に戻ると子育ては戦場のようだった。夫婦二人で次々と泣いては動きまわる子どもたちのおむつを変え、食事を与え寝かせつける。ぐったり疲れ果ててしまう日々が続いた。
■そして2000年、体調を壊した息子の看病をしていた王翔浅さんはついに倒れ、発熱と呼吸困難に陥り入院。これ以上過労を続けることを厳重に医師から禁じられ、王さん夫婦は子どもたちを北京に住む両親に預けることにしたのである。
■愛しい息子たちを想いながら東京で仕事を続ける王翔浅さんは、来日後の奮闘記を「北京晩報」に連載。連載はその後「東瀛告白」という1冊にまとめられベストセラーとなった。人は背負うものが大きければ大きいほど強くなれるのかもしれない。息子たちが物心ついた時、懸命に生きて輝く母はきっと大きな誇りとなることだろう。
■現在王さんは家族共に北京に居を移している。それでも精力的に東京出張もこなす。「今から中国の演劇雑誌の記事を書くため、『劇団四季』の浅利慶太さんのインタビューに行くところです」ーー、王翔浅さんの担当するのは演劇界の最新情報を伝える仕事である。ショートカットに個性的なイヤリングできめた三つ子のママは、颯爽と東京の街に消えていった。(王立)
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