大企業とボランティア団体で活躍 2足のワラジで日中の架け橋になる!!
06年12月9日、川崎市で在日中国人による日中交流イベント「東京論壇」が開催された。この大会を主催した在日中国科学技術者聯盟の銭祝慧副会長は、日産自動車の法務室課長を務めるバリバリのキャリアウーマンだ。さっそく銭さんの精力的な活動について聞いてみた。
銭祝慧(日産自動車 法務室課長)
1969年中国北京生まれ。91年中国政法大学法学部卒業後、北京市海淀区司法局勤務、「北京日報」法政部記者、法律コラム執筆者を兼務。法律コラム優秀作者賞受賞。92年中国弁護士資格取得後、北京市海淀弁 護士事務所に入所。94年に来日し、98年慶応義塾大学法学修士号取得。NEC法務部主任を経て、現在、日産自動車株式会社で法務室課長を務める。日本新華僑華人会広報部長、在日中国弁護士聯合会理事、在日中国科学技術者聯盟副会長を兼任
中国弁護士の経験を 日本の大企業で発揮
張:銭さんはいつ来日したのですか。
銭:私は94年に来日し、慶応義塾大学大学院で法律を学びました。それまでは、中国の法律事務所で弁護士として働いていました。
張:日本語は中国にいたときに習得したのですか。
銭:中国ではずっと英語を勉強していたので、来日したときは、ほとんど日本語を話せませんでした。そこで、来日してからしばらくの間は、午前中は日本語学校で勉強し、午後はアルバイトで生活費を稼ぐといった日々でした。大学の学費も必要だったので、お金には苦労しました。翌日の食べ物の心配をするほど苦しい状況でした。
張:お金以外に日本での生活で苦労したことはありますか。
銭:日本でアルバイトをはじめた当初は、精神的な苦痛を感じていました。というのは、もともと自分の希望で日本に来たわけではないし、中国で弁護士として働いていたこともあって、エリート意識があったからです。アルバイトで皿洗いをしながら「どうして私がこんなことをしなくちゃいけないの」と思うことがありました。ですが、振り返ってみると、あのときの経験がなければ、今の自分はないと思います。
張:修士課程を終えてからは、日本の企業に就職したのですね。
銭:卒業後、NECの法務部に就職しました。大規模な海外事業に興味があったからです。ですが、しだいに海外事業が縮小されてしまい、自分がやりたい仕事をできなくなってしまいました。そこで、日産自動車に転職することにしたのです。
張:現在、日産自動車では、どのような内容の仕事をしているのですか。
銭:法務室で契約審査や投資プロジェクトのリーガルリスクの検討などを行なっています。担当している案件はほとんど中国のものです。
張:中国での弁護士としての経験や日本の大学で学んだことを生かした仕事をしているのですね。ところで、日本と中国の法律にはどのような違いがあるのですか。
銭:私は大学院で経済法を専攻していましたが、その範囲でも大きな違いがあります。たとえば、日本の経済法には大前提として独占禁止法が掲げられています。これは日本経済が自由競争を原則としているからです。ところが、中国は市場経済を取り入れていますが、市場原理があまり働いていません。ですから、商法の概念がなかったし、独占禁止法もいまだにないのです。しかし、90年代後半からの急激な経済成長にともない、それまでの制度では対応できなくなってきました。そこで近年、商法の概念が確立され、民・商・経済法の体系的な整理が行われています。独占禁止法の立法検討も急いでいるようです。しかも企業形態については国営、民営など、さまざまなパターン(本誌26頁参照)があり、中国に進出してきた企業は一様にビックリするわけです。
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