一、 北京放送との再会
去年9月5日、(株)21世紀旅行の代表取締役専務・坊野正弘氏から電話があり、「中国国際放送局東京支局長の張国清氏より、趙鉄騎副局長を団長とする代表団5名が9月16日京都を観光目的で訪問するので、京都らしい趣のある和風旅館を紹介してほしいと依頼してきた。宜しく頼む。」と言って来ました。正直言って、30年前の古い友人である坊野氏(1973年、私が日本教職員友好代表団の一員として訪中した当時の日中友好協会(正統)全国本部の幹部)からの突然の電話なので驚きました。しかも長年中国との友好運動にかかわってきたものの、中国国際放送局について知らない私は、彼のこの唐突な依頼に困り説明を求めると、「北京放送だよ」と答えましたので、「あの懐かしい北京放送か。」と言って安堵し、「観光案内を含め万事引き受けた。」と、坊野氏の要請を快諾しました。懐かしい北京放送の皆さんとの再会です。
嘗て私は28年前(1978年)北京放送を聞く会京都支部の初代支部長として、当時全国運動の一翼を担い、日中友好協会(正統)京都府本部を中心に、反覇権条項明記の日中平和友好条約締結促進運動が展開される中で、「中国を正しく知り、知らせる活動」のメディア活用宣伝の重要分野である北京放送聴取者を拡大する活動に取り組み成果を挙げました。その経験は今も貴重な教訓であろうと思います。
ところで、坊野氏が私が北京放送を聞く会京都支部の支部長であったことを知ろうはずはなく、ただ京都における古い親しい日中友好人士であるということで、私に電話依頼をしてきたのでしょう。偶然ですが、しかしよく考えてみればこれはただの偶然ではなく、当時各界各層そして各分野にわたり広く展開された日中友好の運動状況を鑑みれば、坊野氏からの依頼??と言うよりも、中国国際放送局東京支局長の張国清氏のこのたびの私への依頼は、それなりの蓋善性を持っていたと思います。言うなれば私と北京放送??今日の中国国際放送とは、「北京放送を聞く会」を介して早くから固い友好の「絆」で結ばれていたと言っても過言ではありません。
9月16日快晴の秋の京都、ロンドンタクシーに乗ってのたった一日の名所古刹参観の案内でしたが、代表団の皆さんには、世界文化遺産として登録されている歴史文化都市京都の古代からの日中文化交流を背景とした、国際性を秘めた特色ある文化伝統と、侘びと雅が交じり合う京都らしい風情情緒を味わっていただき、満足をされたご様子でした。嵐山の周恩来総理の「雨中嵐山」の詩碑にも敬意を表され、隣接の和風旅館嵐亭に宿泊されました。翌朝代表団が京都を去られるに際し、現在の京都北京放送を聞く会事務局長安沢英治氏が新幹線京都駅プラットホームに見送りに参り、28年前の初代支部長である私と共に、代表団の皆さんと名残を惜しむ別れの握手を交わしました。京都においては若き後継者が今もしっかりと「北京放送を聞く会」の旗を守り、日本語放送の聴取者の拡大や中国語学習の活動を中心に、政冷(政治が冷たい)の障害を乗り越えて日中友好の発展のために頑張っているのです。
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