先般、東京飯田橋の日中友好会館で催されたリスナーの集いに参加し、いろいろな方々にお耳にかかった。2005年12月には北京放送局を表敬訪問する機会を得た。東京支局長の張国清氏のご配慮によるものである。現地北京では、張氏の奥様である北京大学助教授の於惠芳女史にご案内いただいた。これまでの中国訪問では一度も実現しなかった局舎訪問であった。急遽インタビュー番組を制作していただきださせてもらった。万感胸に迫るものがあった。
15才の初聴以来41年、月日は光陰の如く過ぎていった。放送に歓喜したティーンエイジャーは友人に住む友となり、昔日を熱く語ることはできない。今回北京放送65周年を機に寄稿の機会を与えられたことを大変幸せに思う。57才という年齢になり初老の人と呼ばれてもテレビでなくラジオを愛する気持ちに変化の生ずることはないであろう。
今日中日両国の関係は、きわめて困難な状況にあることは事実である。そのような状況であっても北京放送日本語部とそれに携わるスタッフを支持している多くの日本人リスナーがいることを忘れずにいてほしい。そして心温まる番組をわれわれに伝え続けてもらいたい。
情報とは"情(ありさま)を報ずる"ことと"情(なさけ)に報(むく)いる"の両義を持つものである。北京放送日本語部の諸氏は、一方に片寄ることなくジャーナリストとしての誇りをもって番組制作に当たっていただきたい。友好の架け橋の一端を大きく担う中国国際放送局が益々発展し、栄光の時を刻む存在であることを心より念ずる次第であります。
2006年8月22日
四川大学へ出発する前夜、心を込めてこれを記す。
|