"日本の皆さん今晩は。こちらは北京放送局です。"聞き取りにくい短波に乗って流れてくる中国国際放送局の日本語放送を聞いていたのは、昭和40年頃からだと記憶している。1960年代に中国全土を吹き荒れた文化大革命の余波は、私達日本人に大きすぎるほどの影響を与えていた。15歳前後の少年少女たちが反プロレタリア分子と呼ばれる大人たちを引き回し断罪する様子が、毎日テレビ、ラジオ、新聞等で日本に伝えられ放送された。同年代の中国の少年少女たちが、われわれ日本人よりずっと政治的であったし、純粋であったことは間違いない。
17歳の高校二年生の時、東京神田にある中国系の書店で毛沢東語録が売り出された。私は学校を休んでこれを会に上京した。後にそのことが先生にばれて2週間の学慎重処分を受けた。
語録の中の言葉は、やがて北京放送の中で紹介されるようになり、それが高等学校内で話題に上るようになった。"お前、昨夜放送でやった毛沢東の言葉を聴いたか…?青年は空に輝ける真昼の太陽だというあれだよ…!""ああ聞いたよ。あれはいいねえ。胸にジーンと響く熱い言葉だったね。"
近くて遠い国である中国の様子は、唯一北京放送を通してのみ高校生であるわれわれに伝えられたのである。受験勉強に気を奮われて、放送を聞き忘れたりしたらそれこそ一大事であった。友人の会話の中に入って行かれないのだ。少なくとも北京放送の内容が話題の中心である時は、絶対に話しの輪に加われない少々孤独な立場に置かれるわけである。放送を聞いたようなふりをして、皆に合わせて適当に相槌など打ちながら話に加わったりしても駄目だった。"お前は昨夜の放送を聞いてねえだろう…!いつも自分の意見を言うのに、今日に限って相槌だけ打っているのはおかしいぞ…!友人たちに突っ込まれて嘘がばれ謝ったこともあった。
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