メディアは日中相互理解のために
東京・新橋にある国際善隣協会。夕方、この古いビルの一室に仕事を終えた各社の現役ジャーナリストらが集まってくる。会合を仕切っているのは矢吹晋さん。この日は11月に開催予定の外務省日中知的支援事業のあるプロジェクトの打ち合わせだ。役割分担の確認やスケジュールの計画、矢吹さんのひときわ大きい声がどんどん話をまとめてゆく。ぼやぼやしているとすぐにすごい剣幕で怒鳴られてしまう。「ええ、僕は1958年に大学に入ったんですよ。ですから、もう70ですよ。中国語を学び初めてからもうすぐ半世紀になります」ーー、聞いて驚く。なんてパワフルなのだろう。
中国研究の第一人者、矢吹晋さんは1938年生まれ。東大卒業後に東洋経済新報社記者、アジア経済研究所研究員、横浜市立大学教授を経て、現在同大学の名誉教授。研究者であると同時に野次馬精神を併せ持つ矢吹さんには、日中関係をあるべき姿に変えたいという気迫が漲っている。「日中関係の悪化はマスメディアにも一端の責任がある。両国のメディアは相手側が嫌うような歪曲を故意に宣伝すべきではない」、日中のメディアは互いにより正確な報道を行い相互理解を深めるために努力すべきだというのが、矢吹さんの信念だ。
2001年、「日中コミュニケーション研究会」の立ち上げに参加した。日中双方の有志が立ち上げたこの会は、メディア研究者、ジャーナリストなどがマスメディアのあり方を議論し、よりよい報道のあり方を模索するという主旨で始まった。第1回目の北京シンポジウムで矢吹さんは、30年前の日中国交正常化に至る歴史的な出来事についてスピーチした。1972年9月25日、北京を訪れた当時の田中角栄首相は、歓迎宴で「中国国民に多大な迷惑をおかけした」と述べたが、"迷惑"が"麻煩"と翻訳されたために、中国側から「"迷惑"というのは、女性のスカートに水をかけてしまった時に使う程度の軽い言葉ではないか、日中の不幸な歴史においてこのような言葉は不適切ではない」と厳しく批判された。田中角栄元首相は、日本では意味合いが違う。自分は深い謝罪を表したものだと説明した。これに対して9月27日、毛沢東主席は中南海の自宅書斎に田中角栄らを招き、屈原の『楚辞集注』を贈った。「迷惑」という言葉が、「大衆を惑わす」文脈で用いられている例を想起したからだ。矢吹さんは、毛沢東一流のユーモアであり、メイワク(迷惑)とミーフオ(迷惑)がまるで違うこと、日中文化の「似て非なるもの」ところに毛沢東や周恩来が興味を感じたからであろう、と解釈した。しかし毛沢東の愉快なメッセージは、日本でも中国でも正しく理解されることはなく、"迷惑"論争は日中関係における最初の「ボタンのかけ違い」になってしまった。日中のメディアがもっと正しく当時者の真意を伝えていたら、その後の両国のすれちがいもこれほど大きくならなかったのではないか。メディアは正しく伝えるべきではないか、それが矢吹さんの思いである。矢吹さんは大学退職後の今も後輩ジャーナリストたちとともに、日中メディアのシンポジウムなどに精力的に参加している。11月25日に開催されるシンポジウムでは、中国の各テレビ局から担当者を招き、日中のテレビメディアのあり方について意見を交える予定だ。(文責:満永 いずみ)
11月25日、日中シンポジウム「変わるテレビ・変わる日中関係」
(国際善隣協会の外務省日中知的交流支援事業)
会場は東京・市ヶ谷のJICA国際協力総合研修所
申し込みhttp://moli.cims.hokudai.ac.jp/fb/form/012/index.html。
または国際善隣協会(電話03・3573・3051)
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