*カリスマ・プロデューサー 成功のカギ*
1957年生まれ。1988年、89年、「中国のロックの父」と呼ばれる崔健を、93年には女性歌手・陳琳を世に送り出す。現在、プロデュースした女子十二楽坊で日本を席巻している。その成功には偶然育った環境と時代が何を求めているのか正確に読み取る卓越した力にあった。成功のカギを理路整然と語ってくれた。
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来日公演となれば今なお満席状態の続く「女子十二楽坊」。デビューするなり全国32公演、10万人分のチケットをわずか10分で完売、2枚のアルバムは民族楽器を使った楽曲では破格の300万枚を越えるセールを記録した。忙殺を極める「女子十二学坊」ゆえに、取材を申し込んだ多くのメディアが断られていると聞いている。
ある日、その女子十二楽坊を生んだカリスマ・プロデューサーが来日していると聞き、恐る恐る出かけていった。東京の夜景が一望できる高層ビルの高級ラウンジ。中国各地からやってきたマスコミの記者たちやレコード会社の関係者たちが取り囲んでいる。ところが名刺も持ち合わせていない一介のライターの闖入に、プロデューサーはすぐさま単独インタビューの場をセッティングしてくれた。
「どうぞ何でも聞いて下さい」、穏やかな話ぶりだった。王暁京さんは幼い頃、東北で育った頃の話から聞かせてくれた。当時偶然、家の近所に戦時中日本軍から没収したジャズやブルースのレコードや蓄音機が所蔵されている場所があり、中学校の王さんが当時の中国では耳にすることのない音楽を聴いて育ったという。王さんのもう一つの趣味は機械いじり。ラジオやテレビまで組み立ててしまう腕前で、ついには音響機器まで作り出した。ジャズのレコードを借りてきては音質をそうしたらよくできるか研究に没頭した。
その後、北京に家を越したがそこでもまた「音楽」との出会いがあった。家は中央音楽学院(現愛楽楽団)に面していて、同級生は楽団員の子女。王さんは他の子供たちと同じようにギターやバイオリンを習う生活を送った。「わたしは音楽学校で専門的に学んでいないけど、多様な音楽を吸収してきた。だからほかの音楽プロデューサーのように自分を拘束するものがないのです」。こうした自由な発想が中国ナンバー1のヒットメーカーを生んだのである。
音楽的なセンス以外、王暁京さんは卓越したビジネスマンとしての顔も持つ。中国では海賊版が横行している。そのため王さんはCDだけでなくコンサートの興行で利潤を得る戦略を立てた。舞台を構成する人数は何人がいいか。熟考した末、コスト的にも、そして円満を意味する縁起的にもいい「12」という数字を選んだのである。ロック歌手、崔健のプロデュースを成功させた経験のある王さんにはコンサートのノウハウはお手の物だった。
中国でのブレイクは瞬く間に日本に飛び火。女子12楽坊は日本人の中国への一昔前のイメージを塗り替え、新しく洗練された中国を知らしめる文化大使を担うまでになっている。
王暁京さんの放った次の矢は、日本語で歌を歌う双子の美女ユニット。現在、「女子十二楽坊」のステージで登場を始めている。彼女たちは再び日本を一世風靡するのか、動向に目が離せない。(満永いずみ)
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