日中の文通20年 1万8000組のペンフレンドが誕生 (http://www3.ocn.ne.jp/~buntsuu/)
ネットで「日中」、「文通」というキーワードを検索にかけると、「日中文通クラブ」というサイトが開いた。
パステルカラーのやさしい空間。「会長挨拶」をクリックすると笑顔で福々しい顔写真が出てくる。会長の藤井基義さんだ。なんとここにはクラブの電話番号まで紹介されている。早速ダイヤルしてみた。
「ああ、はいはい。こちら日中文通クラブです」、受話器の向こうから聞こえてきたのは張りのある明るい関西弁。大阪に在住する藤井さんの本業は印刷会社。印刷物の配達の合間の時間をぬって取材に応じて下さった。「日中文通クラブ」は藤井さんが運営するボランティア団体で、これまでになんと1万8000組の日中のペンフレンドを誕生させてきたという。
藤井さんが"文通"の魅力に目覚めたのは、今から32年前の1964年のこと。日本は東京オリンピックの高揚感に溢れていた。当時中学1年生だった藤井さんは、世界各国の選手たちが一堂に会する開会式のテレビ放送に見入っていた。「これからは自分も外国の友達を持とう」ーー、そう心に決めた藤井さんは早速海外文通をスタート。その後中学、高校、大学、そして社会人になってからも文通への情熱は変わることはなかった。
「日中文通クラブ」を立ち上げるきっかけになったのは、20年前、藤井さんが中国人のペンフレンドを訪ねた吉林省への旅だった。ペンフレンドの友人の家に泊めてもらっていた藤井さんは偶然、通りかかった中学校から聞こえる日本語を耳にした。教室に入ってみると大歓迎された。驚くことに生徒たちはもとより日本語を教えている教師たち自身も「日本人と会うのは初めてです」と話す。田舎町では日本人と直接接する機会はなかったのだ。日本語の表現方法で分からないところがあっても確認する術はない。文通を通してならば、日本語を直接習うことができるのではないか、藤井さんは帰国後「日中文通クラブ」を設立、ペンフレンドの紹介と日本語教材を送る活動を開始した。この活動を多くの人に知ってもらい日本サイドの文通相手を求めるために藤井さんは自ら団地や地下鉄沿線をまわりビラを配るなどをして運営を続けた。
ところが最近、そんな藤井さんを少しだけ悩ませる現象も出て来ている。中国サイドから日本人のペンフレンドを求める時に、職業の指定をする人が目につくようなった。ペンフレンドには医師を、歌手を、大学教授を、という要望があるが、すぐに応じられないことも少なくない。「ペンフレンドの希望を性別や年齢くらいにしてもらうとこちらも探しやすいのですが」、元気な関西弁がちょっと弱った声になる。
それでも文通交流へのサポート活動はこれからも力を入れていきたいという。ネットの時代になり手軽なメールが主流になりつつあるが、やはり手書きの手紙にはぬくもりがある。中国からの参加者は90パーセント以上、日本語を習う中高、大学生だ。中国の地方に在住する若者にとっては、日本のペンフレンドが日本語を学び、日本人を知る最初の出会いとなる。
藤井さんが仲を取りもった1万8000組の日中の文通交流。それは日本と中国を結ぶ大きな橋となり、確実に両国の関係を支えていくことになるだろう。藤井さんのその丁寧で地道な活動を心から応援したい。 (文責:満永いずみ)
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