夢はファッションデザイナー
「遅れてごめんなさい!」ーー、待ち合わせ場所のファッションビル「109」に姿を現した王靖さんは、少し息を切らせて挨拶した。渋谷ギャルが中国語?一瞬とまどい、次の瞬間彼女が中国人であることを思い出した。それもそのはず、王靖さんのいでたちは誰よりも"シブヤ"だったから。真っ黒に焼いた肌、長い金髪、素顔が全く想像できないほど太く引いたアイラインにマスカラ。ネイルアートの指先がキラキラ輝いている。
王靖さんは中国・天津育ち。服飾業を営む母の工房で育った。色とりどりの布に囲まれ、わずか4歳でミシンを踏むことを覚えた。周囲は「この子ったら服を作る才能があるのね」と褒めてくれた。美しい服を作り、それを身につける喜びを母から学んだ。ところが幸せな少女時代は長く続かなかった。両親が離婚。母はデザイナーとしてさらに大きく羽ばたきたいと日本へ旅発って行った。
17歳になったある日のこと、故郷を離れ5年間戻らなかった母が、日本での再婚を報告するため一時帰国した。王靖さんは胸を高鳴らせ北京空港に駆けつけた。だが母は彼女を見ても自分の娘だと認識することができなかった。12歳の少女は見違えるような美しいモデルに変身していたのだ。王靖さんはその後モデル養成学校に通い、つらいダイエットにも耐えてファッションショーやモーターショーのステージで活躍していた。
日頃人前で笑顔を振りまく仕事をしている王靖さんだったが、この日の夜は、泣きながら子供のように母のふとんにもぐりこんだ。ーー「ママ、お願い。わたしを傍に置いて」
こうして東京での生活がスタートした。「日本でモデルになるのは不可能。美容師になったらどうか」、周囲からは反対されたが、自力で新聞の求人広告を探し、面接にでかけていった。来日間もないのにもかかわらず、日本の流行の発信地、渋谷のモデル派遣会社が採用。今では化粧品などの広告のモデルとして撮影スタジオに通う毎日だ。
センター街を歩けば当然のこと、次々と声をかけられる。見た目は間違いなく派手だが、でも"男朋友"を持つ気になれないという。「別れる時のつらさが怖くて」。心を縛っているのは両親の離婚にあるのかもしれない。
「今日着ている服も自分で縫ったものなのよ」、王靖さんは立ち上がってくるりとターンをする。身につけている黒いワンピースは丈が右は短く左は長く、個性的なラインを強調している。
モデルの王さんの夢は、将来この渋谷の町でブティックを開き、自分のデザインした服で飾ること。弱冠21歳。ストラップをじゃらじゃらつけた赤い携帯を可愛く振って、再び渋谷の街に吸い込まれていった。(満永いずみ)
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