山歌よニライへ響け
日本の最南県沖縄と中国は、地理的にも近く、歴史的にも特に関係が深い。王耀華教授はその両地に伝わる音楽を比較研究する学者である。沖縄に多くの友人を持ち「第二の故郷」と笑顔で語る。ーー深い友情に裏付けられたその研究とは。
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「沖縄と中国の音楽は似ているのです。例えば中国の歌『茉莉花』の一部分。ソソソラソ…、これを琉球音階に転じるとシシシドシ…沖縄の『打花鼓』の歌になる。他にも沖縄の歌を転調させると中国の音楽になる曲があるんです。」
王教授は中国の中でも特に沖縄と関係の深い、福建省の出身である。幼い頃から音楽の好きな少年だった。山に登っては大声で山歌(客家の山で歌った歌)を歌った。
福建師範大学専門科を卒業後、研究室に残ってからも、郷土の音楽を研究し続けた。
ある時、王教授は一冊の資料と出会う。そこにはこう書かれていた「琉球の音楽には、福建の影響があるーー」「泉州は琉球貿易の港でした。そして福建師範大学には、明の時代の資料がたくさん残っていたのです。」
沖縄と中国には長い交流の歴史があるが、しかし戦後その関係は途絶えていた。日中の国交断絶、米国による沖縄統治。困難な状況が改善されてのちの83年、王教授は中国音楽家代表団の一人として来沖する。その陰には呂驥氏、團伊玖磨氏、岸辺成雄氏という、日中両国を代表する音楽家同士の尽力があった。 来沖した王教授は研究の為、琉球三線古典音楽の照喜名朝一教授に三線を習った。 「三線自体は中国にもあります。しかし沖縄の曲には哀愁が漂う。貧しく、中国や薩摩の属国になった苦難の歴史がそうさせたのでしょう。」
王教授の研究の一つの柱に「御座楽(うざがく)」がある。中国から沖縄に伝わった宮廷音楽だが、琉球王朝の滅亡と共に途絶え、楽譜も失われた。王教授は残された曲名・歌詞・楽器等の資料を収集・分析。そのうえで北京や南京など、琉球の使節らが訪れたであろう土地を丹念に調査し、関連性のある曲を探し出していった。気の遠くなるような地道な研究の末、03年に『琉球御座楽と中国音楽』を刊行。これには王教授が復元した御座楽の楽譜が、器楽曲・歌曲合計17曲収められており、また日中両国語で著されている。御座楽には中国のみならず、ベトナム等東南アジアの影響もある。これらも含めて今後はヨーロッパやアラビア等世界の伝統音楽を研究していくという。
「沖縄の音楽では古典が好きです。かぎやで風、仲風節…。」 取材中に王教授は何度も歌を口ずさんだ。朗々たる響きは瞬間、日本を忘れさせ、大陸の風に乗ってどこまでもまっすぐに飛んでいく様な錯覚にとらわせる。沖縄では海の彼方に「ニライカナイ」という浄土があるという。歌好きな少年は研究という翼を駆って今異国の浄土ーーニライへとその調べを響かせようとしている。(文責:田幸亜季子)
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