上海の旧フランス租界。広大な芝生に面した洋館ホテルのテラスで、作家、潘向黎さんとお茶を楽しんだ。前夜の雨で湿気を帯びた空気が、初夏の日差しと共にまとわり付く。大都会の喧騒。しかし、潘さんの周りだけはゆったりと時間が流れ、爽やかなそよ風が吹き抜けていくようだ。「緑茶のような人」と誰かが評していた。土産に持参した宇治の新茶を差し上げると「私、これ大好きです」と目を輝かせた。
エッセーを読んだ若い女性読者からよく恋愛についてメールで相談されるという。若い読者と接する時間を大切にしている潘さんは、求められれば時間の許す限り、彼女たちと会う。「今の子は、私が若い頃は恥ずかしくてとても言えなかったようなことでも話してくれる。10歳違うとものの考え方が違い、20歳違うと全く別の世界の人間みたいです」
1992年から2年間、東京外国語大に留学した。日本語は流暢で、表現力豊かだ。
最近は上海のテレビでも「お見合い」「合コン」番組が大流行、恋愛に対する若者の表現や感覚も変わってきたという。「『彼と別れたくない』と泣いていた女の子がかわいそうになって、ご馳走して慰めてあげる。しばらく経って電話してみると、けろっとして『あ、あの彼とはもう別れました』って言われて、こちらがびっくりしてしまいます」
改革開放で豊かになった大都会。そこに住む中産階級の恋愛や生活を細やかなタッチで描く現代中国の人気作家。10数冊の作品集とエッセーがあるが、その短編のいくつかが最近日本でも紹介され、注目を集めている。
藤井省三訳で文芸誌などに紹介されたのは3篇。「青菜スープの味」では40代の企業経営者の不倫と離婚の危機、「奇跡が橇でやって来る」は、マイホームを手に入れた若い妻の心にふと芽生えた恋愛感情、そして「我愛小丸子」では、マンガ「ちびまる子ちゃん」が大好きなOLの恋の冒険をユーモアとペーソスにあふれた文章でつづった。
「ちびまる子ちゃん」は、上海の子供たちが大好きな日本アニメだ。1966年生まれの潘さんが子供のころは、まだそれほど「ka wa yi(可愛い)」マンガが中国にはなかった。「私が覚えている日本のアニメは『一休さん』です。『ちびまる子ちゃん』は、日本に留学していたころ、面白くて夢中になって見ていました」
生まれたのは両親の出身地だった福建省の泉州。文革のため上海復旦大学教授だった父親とは別々に暮らし、母と上海に戻ったのは12歳のときだった。文学少女だった潘さんは、その間ずっと古典小説を読んで育ったという。
「私たちの上の世代は、善悪で物事を判断していた。私は繊細さ、美しさを大事にしたい。高層ビルのような建物より、ひさしの形や瑞々しさ、日差しの暖かさ。そうしたものに興味があります。同じ日差しでも午後3時と午後5時では違って見えるものです」
そうした繊細な美しさとの出会いは、京都で見た古い寺だった。「ここは私の故郷ではないのか? そんな不思議な幻覚を感じました。私、日本人が上海の人より幸せだと感じるのは、古い老舗のお店に来て、30年前にここに来たよと言う事ができる。そんな場所があることだと思います。そういう体験は中国ではなかなかできません」
ピンク、水色、白といった淡色系好み。春が苦手、秋の方が元気というのも独特の感覚。「花や緑がにぎやか過ぎると、心が逆に寂しくなるのです」
日本の美に傾倒する潘さんだが、最近の日中の関係には心を痛める。「日本人にはもっと中国のことをわかって、好きになってほしい。『似近実遠』という言い方がありますが、近いから遠い。似ているから違いが分かりにくい。そういうこともありますから」
六月、優秀な若手作家に贈られる庄重文文学賞を受賞。初の長編「明月楼」の準備にも取り掛かっている。清代末、1900年ごろの江南古鎮を舞台にした大家族の物語だという。(長久会・石山俊彦)
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