ところで、どんな力でこのような人を殺した戦犯に人間性を取り戻させ、どのような感情で良心を無くした殺人機械を人間に変えたのでしょうか。当時、戦犯管理所の元管理官であった崔さんはその時のことを語ってくれました。
当時、周恩来総理の指示に基づいて、「罪を悔いる」「悔罪」教育を行っていました。学習の面では、理論と実践を結びつけることを強調しました。学んだ文献はレーニンの「帝国主義論」や毛沢東主席の「新民主主義論」、そして「実践論」、「矛盾論」などの哲学著作です。
趙さんは当時、管理所の看護婦長で、中国医科大学を卒業してからここに勤めました。そのとき、まだ若く、二十歳にもなっていませんでした。
「最初、中国人民を殺した日本戦犯を扱うことは、気持ちとして、どうもついていけなかったです。ですから、最初はとても辛かったですね。でも、みんなは政府が定めた『罪を憎み、人を憎まない』という寛大な精神でこうした戦犯たちを取り扱いました」???
また、趙さんは当時、武部六蔵に対する治療を例として取り上げました。
武部六蔵は偽満州国国務院の総務長官であり、当時この戦犯管理所に拘禁された戦犯の中で身分が一番高い人でした。1952年、彼は脳血栓を患ってから、半身不随の状態でした。「管理所の焦桂珍看護婦が四年間にわたって細心の看護を尽くし、食事を与えたりしました。床ずれ一つ起こさせなかったというエピソードは有名です。彼の奥さんは看護の様子などを聞いて、看護婦さんに抱きついて感謝しました。これも戦犯の中でも大きな反響を引き起こしました」と話しました。
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