今お聞きになったのは、北京放送・中国国際放送局の特別番組ー「生まれた変わったところ」です。
50年前、中国の特別軍事法廷は撫順戦犯管理所に拘禁された戦犯に対する審判を始めました。重大な罪を犯した戦犯45名に、その犯罪事実に基づいて、8年から20年の懲役を言い渡し、他の戦犯は、起訴免除され、釈放して帰国させると決めました。
今日の特集番組は私劉非が「撫順戦犯管理所」をご案内し、戦争経験者・藤原助男さん自ら、かつての戦犯が、いかに「鬼から人間性を取り戻し、さらに、反戦と平和、また中日友好の旗を掲げてきている」のかを、語ってくれます。
9月16日、北京放送の記者・謝宏宇と劉非は遼寧省撫順市にある「撫順戦犯管理所」を訪れました。
ここで、私たちは今年86歳の元戦犯??藤原助男さんと出会いました。彼は1950年から1956年までこの管理に収容されました。帰国後、彼は、戦犯たちが組織した中日友好に携わる「中国帰還者連合会」に参加し、今回は「中帰連」の精神を受け継ぐ「受け継ぎ会」のメンバー10人を率いて中国の旅に出ました。これが3回目の中国訪問でした。この戦犯管理所にある抗日戦争で殉難した烈士への謝罪碑に献花することと、同行した日本の方に、当時この管理所でどのような教育を受けたのかを語ることが今回の訪問の主な目的です。
藤原さんが参加した「中国帰還者連合会」は、中国から次々と釈放され帰国した日本戦犯からなり、1956年7月、東京で成立しました。「中帰連」は、その略称です。日本各地の都道府県にも支部を作り、「平和と日中友好に貢献する」をモットーにして、「侵略戦争反対」と中日友好促進の事業を展開してきました。当時、両国の国交関係はまだ正常化されていなかったので、彼らは戦争従事者の立場で日本の右翼勢力と戦い、講演や書物出版、座談会などの方法を通じて、戦争で犯した罪を暴露し、中日友好を促進する活動を展開し、日本国内で大きな反響を呼び起こしました。撫順戦犯管理所に収容された元戦犯の藤田茂さんは「中帰連」の創設者の一人で、またこの会の会長を務めました。
藤田茂元会長は中国侵略の期間中、日本陸軍59師団の師団長として、中国の山西、河北、山東省などの地区で「焼き尽くす、殺し尽くす、奪い尽くす」という政策を実施しました。このような残酷で罪の重い日本の戦犯も中国政府の寛大かつ人道的な政策によって、平和主義者に改造されました。釈放され帰国したあと、彼は「中帰連」を創設し、自らその会長を務めました。生前は訪問団を率いて、何度か中国を訪問したことがあります。今は亡き周恩来首相ら中国の指導者も彼と会見しました。
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