6歳から日本舞踊を習い始め、1950年より目白で花柳千代日本舞踊研究所を始める。1984年から中国人舞踊家を弟子として受け入れ始め、今秋、三人目の中国人名取弟子を送り出す予定。1985年に初めて訪中した際、シルクロードより閃きを得、舞踊劇『大敦煌』を創作。中国政府「文化交流貢献賞」受賞者(2004年)。
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みるみる稽古場が中国語教室に変貌した。畳の間に椅子が並べられ、さっきまでは指導者していた先生、そして稽古舞台で汗を流していた名取や十代の中学生たちがそろって椅子に座り、b、p、m、fの発音練習を始めた。
これが毎週土曜日午後の花柳千代日本舞踊教室の一シーンである。4年ほど前から、これが定例になっているという。
「これからは日中交流の時代。だから、私の生徒なら皆中国語を習いましょう」。きっぱりした口調だった。最初は「語学の勉強まで」と抵抗感を覚えた人でも、今はたまにテレビなどで中国語を耳にすると、「親しみを感じるようになった」という。
それにしても、何と言うお元気さと若々しさ。水一滴も飲まずに、4時間通しての稽古指導。それなのに、何一つ崩れていない。ぴんと伸ばしている背筋、機敏な動き、よく通る響きの良い声。本当にこれで82歳かと目を疑う。
花柳千代舞踊研究所に、昨年6月から2人の中国人娘が弟子入りした。北京舞踏学院「東方舞踊学部」を卒業した田晶さんと駱靖さんだった。大学時代、二人に日本舞踊を教えた先生も実は千代先生の教え子だった。びっしりした稽古指導のみならず、週代わりで千代さんの自宅で寝泊りもし、生活を共に過ごす中で、手取り足取り日本文化を伝授しようとしたという。田晶さんは今年5月末、「花柳千代紫」の名取名を獲得した後母校に戻り、日本舞踊コースの教師をしている。一方、駱さんも年内での名取試験合格を目指して、現在猛稽古中である。
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千代先生の指導風景 |
名取試験に向け猛稽古中の駱靖さん |
1984年、中国芸術研究所の副所長を初めての中国人弟子として受け入れた。それ以降も中国人舞踊家の研修や中国文芸界の見学を数多く受け入れ、1988年、シルクロードがとりもつ縁で甘粛省歌舞団団員・劉潔さんを受け入れ、初の中国人名取に育てた。中国舞踊界に日本の民族舞踊を知ってもらう窓口を提供し続けてきた。
1985年、初めて中国の土を踏んだ。シルクロードを中心に43日間、大陸を旅した。その時の感動を舞踊劇『河西回廊』や『大敦煌』として実らせる。1997年、日中のアーティストの共演による『大敦煌』は北京でも公演し、日中舞踊交流史に忘れがたい一筆を書き加えた。
過去20回ほどにわたり中国訪問で、北京でのステージや、舞踊専攻の芸大生との交流を意欲的に進めてきた。日中国交正常化30周年のお祝いに、著書『日本舞踊の基礎』の中国国内での翻訳出版に踏み切った。1981年、日本国内で出版された後、15刷を重ね、日本舞踊界で最も良く知られている力作である。
「日本舞踊は宝なのに、学ぶ子どもが少ない」。申込者が溢れ出るほど栄えているバレー教室に比してもどかしさを隠せない。が、そう言いながらも、元気の良い声で同じステージで稽古を受ける日中の弟子たちを叱咤激励する。
「日本人、中国人に負けていいですか?中国人、日本人に負けるもんか」。そう言って、自らもかわいい笑顔で吹き出してしまう。一心不乱に踊り続ける弟子たちの顔から、師匠の真意がしっかり伝わっているように見える。
日本舞踊を誇りに思いながら、自ら中国文化を研鑽し、エネルギッシュに交流活動を続けてきた千代先生の姿は実に素晴らしい。(王小燕)
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