4月9日、サムスン杯2006年北京国際駅伝が行われました。今年で21回目を迎えた伝統のある大会です。
スタート地点となったのは、北京市の中心部にある天安門広場。大会当日の朝は、4月にしてはやや肌寒かったのですが、会場はものすごい熱気に包まれていました。今回は、世界各地から、プロ・アマチュア合わせて360チーム、およそ4000人の選手たちが参加しました。
今回のコースは天安門広場をスタート後、東西に伸びる大通り「長安街」を西へ走ります。環状2号線にたどり着いたら、今度は南に方向転換。環状線沿いに北京市の南側をグルッと駆け抜け、再び天安門広場に戻ってくるというものです。このコースを、6人の選手がタスキでつなぎました。
市民応援団も盛り上げに一役買う
「駅伝」の発祥の地は日本です。1917年(大正6年)、日本の都が京都から東京へ移った50周年を記念して、「東海道駅伝徒歩競走」という大会が行われたそうです。京都の三条大橋をスタートし,東京・上野の不忍池(しのばずのいけ)をゴールとするものでした、514キロメートルの道のりを23区に分けて走り、最終走者がゴールするまで3日かかりました。
北京国際駅伝大会の由来について、主催者である北京市対外友好協会の李維建さんが次のように教えてくれました。「第1回大会は1986年4月に行われたのですが、この駅伝大会を提唱したのは中国と日本の有識者達でした。駅伝のタスキのように、両国の友好関係が世世代代にわたり受け継がれていくよう願いを込めて、『マラソン』ではなく「駅伝」というスタイルにしたんです。本来の目的はそういうものでした。」
この駅伝大会は日本と非常に縁の深い大会だったわけです。ちなみに、記念すべき第1回大会は、脈々と続く万里の長城のふもとで行われたそう。当時は「中日友好長城駅伝大会」という名前でした。その後、世界中から参加者が集まるようになったため、現在は「北京国際駅伝大会」と名前が変わっていますが、平和と友好を願う基本精神は今も受け継がれているんです。
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スタート間近の選手たち |
北京市副市長 大会開催の挨拶 |
一斉にスタート |
日本からも、毎年多くの選手が参加します。今回北京市副市長 大会開催の挨拶は、日本女子選抜チームのみなさんにお話を伺いました。
伊藤舞さん「2区の10キロ走った。楽しかった。いろんな国の人と話したり、一緒に走ったりすることがないので、この大会に出れてよかったと思う。」
矢口衣久未さん「3区を走った。いろんな人のいろんな走りが見れて、すごく楽しかった。ここでオリンピックがあると思ったら、すごいところで走れてよかったと思う。」
日本チーム・山下誠監督「このような大きな大会に参加できてうれしい。たくさんの国の人と交流でき、中国の人にも温かい歓迎をしていただいて、とてもよかった。」
試合はもちろんですが、各国の人々との交流が、みなさんの印象に強く残ったようです。今大会で、日本チームはトップ3に入ることはできませんでしたが、昨年より成績をかなり上げてきたとのこと。
ちなみに、優勝チームは男子の部がケニア選抜チーム、女子の部が中国選抜チームでした。
中国と日本が共に始めたこの大会は、中日友好交流でも重要な役割を果たしてきました。これからも、この大会が盛り上がっていくよう願うと同時に、このような大会を通じて、中日の友好が促進されると信じています。最後に、共催団体である東京都日中友好協会の貫洞会長が次のようにコメントしてくださいました。「特に最近、民間の交流が大事だと言われている。『じゃあ、民間で何が出来るか?』と考えると、民間の力では大きな行事は作りにくいというのがある。したがって、草の根の交流大事だと思っている。中国人と日本人が直接会って話すこと。それをずっとたゆみなく続けていこうと思っている。」
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