1974年12月、池田大作先生は二度目の訪中をしました。池田先生が帰国する前の日、12月5日の夜、当時病床にあられた周恩来総理は池田先生と会いました。会見の折、周総理が懐かしそうに、「50数年前、桜の咲くころ、日本を発ちました。」と口に追憶の情をたたえつつ話しますと、池田先生は「是非また、桜の咲くころにいらしてください。」といいました。しかし、周総理はこうおっしゃいました。「その願望はありますが実現は無理でしょう。」と。この会見は短く、わずか30分でした。しかし、池田先生は、周恩来総理の国家への献身的な精神と、日中友好に対する熱き思いをさらに深く理解したのです。
翌年、1975年4月、創価大学は初めて第一期の中国人留学生6人を迎えました。池田先生は留学生たちに周総理との会見の模様を細かく紹介し、周総理はもう一度日本の桜を見たいとおっしゃった。総理のために、日中の学生でキャンパスに桜を植えようと提案しました。そして、1975年11月2日、中国人留学生自らの手で桜の苗を植えました。この桜を、池田先生は「周桜」と名づけました。
1979年、桜花満開の4月7日、故周総理夫人の鄧穎超女史が日本を訪れました。その来日を記念して、池田先生は、平安の庭に自ら「周恩来桜」と「鄧穎超桜」を植樹し、「周夫婦桜」と命名しました。現在、この「周桜」と「周夫婦桜」は、創価大学の校内で深く根を張り、毎年雅やかに花を咲かせ、すくすくと育っています。
この「周桜」と「周夫婦桜」は中日両国民の友情の証となり、毎年大勢の方々が訪れ、故人を偲んでいます。
(写真:kokusei)
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